孝の初めなり、、、中華の古典(孝経かな?)の有名な一節。
病気や怪我して心配かけるのは親不孝とか解釈するのは的はずれ。
この場合の「毀傷」は肌に墨を入れる事を意味する。
魏書なんかには「被髪文身」なんて言葉が出てくる。ざんばら髪で肌に入れ墨をいれている....つまり野蛮人で文明から隔たった存在だということ。
また、罪人には前科者の証として顔に入れ墨を入れるのが通例。これを思えばGPSの足輪なんか慈悲の塊ですよ。その発展系が....どうせ前科者は元に戻れない以上アウトローである事を誇示する為に入れ墨を入れて組織の団結強化を図ったりもした。
中華は兵士になるのは劣等漢と決まっており、屑鉄は釘になりヒトザルの屑は兵隊になる。
辺境には犯罪者で構成されるスーサイドスクワットみたいな軍団まであったと言われる。
かくて無法者が犯罪を犯し軍隊送りになり全身を「毀傷」するプロセスが完成した。
無論軍隊で隠れたる才能が開花し、黥布のように劉邦に仕えて王侯にまで上り詰めたりもした例も無いではない。
刺青はヒトザルの皮膚をキャンバスとする藝術だといえなくもないし、被髪文身が野蛮とは...文化の多様性への認識の欠如以外の何者でもない。
そもそも文化には差異はあるが優劣はない、というのが文化人類学のスタートライン。
明治の初め、欧州の王侯貴族の憧憬は倭の刺青
ことの経緯は知らないが、染付のブルーやらジャポニズムからの連想かしら?
確か英国王室の王子も墨を刺すためにはるばると来日した筈だ。
だからといって......倒錯の藝術か稚拙な落書かは紙一重
かも。街角で見かけるタトゥには美を感じないし、背中一面に般若心経二百数十文字を彫り込んで意気揚々なあんちゃんをみた事がある。
至高の経文を背負っているつもりらしいが、心経の真髄たる呪文は
たったこんだけ。
南宋の忠臣愛国の不運の名将岳飛は、背中に「尽忠報国」の刺青を背負って戦ったが、その魂魄たるや万字よりもこの四文字が勝る。
中華に於ける楠木正成みたいなものだが、かのあんちゃんも山川世界史を多少なりともお勉強してさえいればなあ.....
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