倭人ならば誰でも知っているはずの....なんて物言いはダイバーシティな時代では錯誤感満載と指弾されそうな
しかし、美あるいは美意識は与件なりアプリオリにあるべきものではなく「発見」されるものと考えれば、時代感覚に左右されるものなのだ。
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秋は夕暮ね。
夕日がさして、山の端にすごーく近くなったとこにさ、烏が寝るとこに帰るんで、三つ四つ、二つ三つなんか、飛んで急いでいくのさえいいのよ。ま・し・て・よね。雁なんかのつながったのがすっごく小さく見えるのは、すっごく素敵! 日が沈みきっちゃって、風の音や虫の声なんか、もう…たまんないわねッ!
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枕草子を桃尻語訳で読めばこうなる。
これで現代的で解りやすくなったとは思わないが、天才橋本治の王朝翻訳物の白眉である事には違いない。
清少納言作についての異論は聞き及ばないが、十一世紀初めには脱稿したらしい。
和歌集に溢れかえる「ウンチャラカンチャラ 秋の夕暮れ」
とりわけ有名なのが新古今和歌集「三夕の歌」
正確な製作年は定かではないが、およそ十二世紀のころ。一方で枕草子に先立つこと百年前に古今和歌集が編纂されているが「秋の夕暮れ」なる詩草は、少なくとも秋部には見当たらない。
つまり、大胆に言ってのければ、十世紀では顧みられない美の世界を十一世紀に宮中住み込みのキャリアウーマンが「発見」して、十二世紀には一般的に伝播した。
百人一首には「秋の夕暮れ」の歌が二首あります。
ひとつは寂蓮の「....霧たちのぼる秋の夕暮れ」
三夕の歌は秋部上ですが、こちらは同じ新古今でも秋部下
「霧たちのぼる」なる秀句表現は後世禁止表現とされるほどであったとされる名歌
今ひとつは、
この作者は伝不詳ですが、十一世紀初めの方らしいので、もしかしたら「秋の夕暮れ」の初出歌かもしれない....でもなければ、こんな凡作を定家が選ぶはずが......
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