和歌集の秋の部は、立秋(初秋)に始まり....一気に七夕主題になりますから、一瞬目が点になります(^^)
太陰暦(旧暦)の秋は七月からですから当たり前と言えばその通りだが、暦と体内時計は一致するものではない。
そこで生まれた生活の知恵が「月遅れ」
お盆とか七夕とか....
しかし、津々浦々まで浸透している慣習とまでは言えない。
そもそもは中華由来の牽牛織女伝説。
天帝のご機嫌を損ねた事から遠距離恋愛を余儀なくされ、年に一回だけ織女が牽牛を訪ねることを許されたとされる....が、倭国は妻問婚の世界ですから、牽牛が織女を訪ねる形にかわりましたし、ナンジャら技芸上達祈願祭になってしまった。
倭国は事情はさまざまなんだろうが、単身赴任が常態化している社会なんだから、年に一回くらい妻(家族を含む)が夫を訪ねる旅費くらい負担する制度があってもおかしくはないが....残念ながらそんなセンスある企業は聞き及ばない。
それにバレンタインの狂騒がわるいとは言わないが、伝統文化的な基層のある七夕節商戦を盛り上げる気がないのも面白くない
中華では、愛情節と称してバレンタイン以上の活気だというではないか。
御中元商戦もかつての熱気はあまり感じなくなりました。
和歌集での七夕歌は、星空の叙景歌に恋の装いという極めて当たり前のしつらえが多い。
その中に修辞を凝らし秀句表現を散りばめる
夕星もかよふ天道をいつまでか
仰ぎて待たむ
月人壮子 (人麻呂 万葉集巻十)
宵の明星が夕星(ゆうづつ)
天の河が天道(あまぢ)
一瞬誤読しそうになりますが、月人壮子(つきひとおのこ)を天の河を見あげながら待っているのは「オンナ」だと言うのが正統的解釈。
しかし、人麻呂の時代ですから中華テイスト通りにオトコがオンナの訪れを鶴首して待っていると解釈してはダメですかねえ....
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