高位高禄に縁のないノンキャリ貴族にとっての自負心を満足させるものは「歌業」
勅撰和歌集に自作が収録されることが先ず一義で、出来うれば巻頭歌や巻軸歌に歌名をとどめたい......
例えば「秋の部上」なんかがやはり宮中席次が高い。詩歌の編成上秋の部の最初の詩は立秋の雰囲気に決まっています。
極めて競争が激しい素材です。
月並和歌では歯牙にもかからないから、かなりなレベルを要求されますし....加えて歌人としての盛名もものをいう。無名歌人の巻頭歌の例もあるにはあるが....
毎日パラパラと数首を紐解く清唱千首(塚本邦雄撰)
勅撰和歌集のどれをも凌駕してやる!って意欲満々の歌集なんですが、たしかにレベルの高さはその通り。
しかし、カラクリがありましてね(^^)
勅撰和歌集は使いまわしご法度。
しかし、この「千首」は名歌ばかりのアンソロジーからさらにええとこどり....だけじゃ芸が有りません。
選外の佳作やらを巧く散りばめて......
過去の選者達の目利きのほどを暗に嘲っているのが、昭和の狂言綺語師たる所以
秋の部巻頭の二首は以下の順
この寝ぬる朝けの風の少女子(をとめご)が
袖振る山に秋やきぬらむ(後鳥羽院)
秋来ぬと目にはさやかにみえねども
かぜの音にぞ 驚かされぬる(藤原敏行)
日本詩歌史上の巨人たる後鳥羽院
敏行は多少品下がりますが、それでも三十六歌仙に名を連ねますし、なんといっても古今集の巻頭歌に相応しい名品。
その名品をさしおき、万葉集の収録歌と紛うばかりの後鳥羽院の作品。
スメラミコト流儀とはかくも雄渾にして嫋やか。
八代集未収録歌ですから、選者の得意顔が目に浮かびます。
なお新古今集の巻頭歌は家持作
あまり感心しない作品だし、どうしてこの後鳥羽院の作品にしなかったのかなあ
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