統計学ってある意味で怪しげだが、唯一(かもしれない)の正解は「ヒトザルの死亡率」は100%....と喝破したのは、サマセットモーム
動かしようのない真理なんだから、そこにあれこれ形而上学的な思索が入り込む余地はない筈なんだが、、、ヒトザルは死ぬから哲学をするのだ。
不老不死ならそんな辛気臭いことをする筈ないだろうって(^^)
だっから長寿に科学的なリソースを過度に投入する事には懐疑的なアタシ。
渋谷道玄坂上にあったオリエンタル病院の「直江庸介」は嘯きます。某大学の講師ポストを投げ捨て一介の勤務医になった事は医学界では結構なウワサとなったが、、、彼はいいます「死に方を教える講座の教授ならやってもいい」
BMJ(知る人は知る権威ある医学誌....らしい)の元編集者の某氏のエセーによれば
死ぬなら末期癌が一番(自裁を除く)
彼によれば、死に方は
突然死
認知症
臓器不全
癌..................に分類した場合、まあそうかなあって
癌と臓器不全の区分はよく判らないが、なんとなくそうかなあって、心安らかになった事は確か
認知症になって周囲に迷惑をかけて迷惑をかけている事の認識すらなく身体中をチューブでつながれて生きながらえて何が楽しい。
その限りにおいては「生産性の低い存在」なる惨い表現にも口をつぐむ。
突然死との比較は、、、まあ個人差があり、ピンコロ一番!も判らなくはない。
ヒトザルは唯一哲学する存在なんだから、余命を知り自らの生きようを内省し、関わりのあった誰かしに別れを告げていくセレモニーの時間がある事を幸せと思うかどうかなんですがね、、、
この素材は多種多様に調理可能なんですが、死刑制度が頭に浮かんだ。
カミュは死刑制度に懐疑的だった。余命が判ることが「残酷」だと彼は考えたみたい。極悪人なんだから内省のようなヒトザルらしい振る舞いをするわけではないから自暴自棄に陥る。だから突然に毒殺でもする方が人道的とかなんとか
カミュの意見は如何なものかとは思います。
しかし倭国のように死刑執行までの平均期間が八年余りってどう考えますか?
茶化すわけではないが、癌なんかでも余命◯◯って....まあ半年とか一年がドラマ的だろう。
その意味でよく考えられた条文だ。
しかし、これは義務規定ではなく訓示規定だというのが判例の立場。だが現実は但書の事由を考慮しても甚だしく乖離している。
こうなれば、ある種の蛇の生殺しみたいなもので逆に残虐刑に見えてくる。
0 件のコメント:
コメントを投稿