2022年12月5日月曜日

気宇壮大 雄渾

 三十一文字

所詮は技巧を凝らした箱庭的小宇宙の世界。
それはそれで悪くはない言語芸術なんだが、、その狭さを木っ端微塵にするようなスケールの大きな和歌はより素晴らしい。


あちこち和歌集の索引を眺むれば、、、やはり古代かスメラミコト調に限ります。



我こそは新島守りよ

隠岐の海の荒き波風

心して吹け(後鳥羽院)



北山にたなびく雲の

青雲の

星離(さか)りゆき 月を離れて(持統天皇)



東(ひんがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて

かえり見すれば 月西渡(つきかたぶきぬ)

(人麻呂)



よけいな講釈なんか要らないが、、、

隠岐に流罪となった帝ですが、こんな和歌を詠むようではへたっているふうには見えません(^^)

白河院の「天下三大不如意」である自然現象すら屈服させそうな



天武帝への挽歌

青雲が夫である天武天皇

自分やあるいは皇子たちを含めて星や月になぞらえていますが、、、ホンマに鸕野讃良(持統帝の諱)の自作かなあ?



江戸期の蕪村ならば「菜の花や 月は東に陽は西に 戌が北向く 尾っぽはみなみ」程度にしかなりませんが、、

人麻呂の和歌は軽皇子が阿騎野の原にお出かけの際に詠った反歌の一首であり、陽は軽皇子(後の文武天皇)であり、月は父親の草壁皇子(天武帝と持統帝の間の長子だが夭折)に準えているというのが国文学の定説。




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