雅俗混合擬古文という、一葉スタイル。
現代国語に翻訳しないともはや理解不能となった。
小説は短いが、、読点はそれなりにあるし句点が非常に少ない。
....
金持ちのくせにあるいは金持ちだから、奉公人と金勘定には厳しい山村家に働く天涯孤独なお峰には、大晦日の寒さが一際身に沁む。
たった一人の伯父がわずか二円の借財に年が越せぬ難儀なさま。
山村家のご新造さまに前借りを頼むが、歯牙にもかけてもらえず、、、、寒さに震える伯父の息子が、勝手口の暗がりでその二円を待ち受けている。
進退きわまり、お峰は硯の引き出しの札の束から二円だけを盗み出してしまった.....
当世風の悲惨な有り様とも二重写しともなり、毎年はとりあえずの「ハッピーエンド」にほっとして来年は良い年にと心から祈念するが....どうも今年もなあ
いまどきで三度のご飯にも事欠く家庭が無視できない程いると思えば統治者は胸締め付けられる想い、、、って感じないのかよ(バターより大砲を選んだ(例えばソビエトとか)国家の末路を知らないのか)
山村家の跡取は放蕩息子。
どうやらお峰の盗みの現場を垣間見たようだ。
バレれば大晦日の雇い止めは当たり前だし、羅卒のお縄にもなる。
行くあてなく路頭に迷い、悲劇が待っているはずのところ「放蕩」がお峰の苦境を救ったことになる。
けだし「浪費蕩尽は美徳」なのだってゾンバルト先生のおっしゃるとおりです
しかし....これで伯父一家の生計がたてなおるわけでもなく、味をしめてまたぞろ無心に来ても毎度毎度放蕩息子がたすけてくれる筈もない。
一時しのぎの「給付金」じゃ本当の救いにはならないんだよなあって、、、教訓は何処にでもあります
一葉が知りたい「後の事」とはどんな展開だったのだろうか?
一葉には、この作品上梓の後の余命は二年余りしかなかった。余りにも短い「国文学史における奇跡の二年間」
とてもこの続編を書く時間は一葉にはなかった。
ならば、私が続編を書いてみようなんて無作法な真似をする文筆家もいないし、、、アタシだってそんな非礼は(^^)
でも、マッチ売りの少女とかフランダースの犬のエンディングのイメージかしらって「無作法」にも想像してしまいます。
0 件のコメント:
コメントを投稿