ネット検索だと、、、哀しいかな歌人ではなくミュージシャンがヒットする。
大層な歌人でもなく、生没年不詳の九世紀の下級貴族にすぎないからかなあ
正確には「ちさと」と読み、ミュージシャンの方は「せんり」、、、多少の皮肉を感じます
白楽天の漢詩の本歌取りのようなもの。彼は儒者ですからかような作品がそこそこあるらしい。
十一世紀になり、源氏物語花宴巻にこの歌が登場するが「似るものぞなき」とレディムラサキは手を入れます。漢臭を嫌い和風文化的に改めたって識者は仰います。
霞がかったような春の月を素材にする先行和歌はないではないが「朧月夜」なる表現は大江千里が嚆矢のはずだ。そして源氏にも皇太子の婚約者なのにヒカルくんの愛人になる二股愛の御令嬢さまが「朧月夜尚侍」
かなり高名な和歌だったと思いますが、勅撰集に選ばれたのは、やっと十三世紀初頭の新古今和歌集。
なんにしてもこりに凝った王朝美學の一例。
夕暮れは秋より春だとか、月ははっきりクッキリよりもボンヤリが一番、、、かなり屈曲しているかも、、いやいや耽美的官能的だというべきだ。
本歌取りしてるなあ、、、って和歌は散見されますが、ズバリ「朧月夜」の字句は見た事がない。
秀句表現すぎて歌学では禁句の扱いだったのかもしれませんが、御子左家編纂の「禁制詞」にはなかった、、、と思います。
そのような呪縛から解放された明治の頃の文部省唱歌
ズバリ「朧月夜」
作詞は、教育県が生み出した高野辰之博士
昨今は文部省唱歌なんか馬鹿にされ、、、しかし、センスあるミュージシャンはアルバムでカバー曲として好んで取り上げています。
アタシは、彼のカバーがいちばん好きです
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