元来は政治的あるいは歴史的な用語で、大革命以後の政治的な混乱の中で生じた殺戮を意味する。
今や安易にこの言葉が使われ過ぎの感があり、内心苦々しく思っている。
正確な用語の定義があるようで実はないのだが、加害者(テロリスト)の立場から考える方がわかりやすい。
まず「社会に不安や恐怖の感情を蔓延醸成」させる政治的な意図がある事
そのやり方は古典的には「殺傷や物理的な破壊」であるが政治的な意図が実現されるのであればそれ以外の示威行為もテロ行為と考えても構わないし、意図が実現するならば物理的な被害の程度は問わない。
実のところテロ行為による人的損害って、、、
交通事故の死者は百数十万人
糖尿病の死者は数百万人
大気と水質の汚染による死者は一千万人弱
それに引き換えテロの犠牲者は万人そこそこに過ぎない。
だから軽視しても良いという事ではなく天文学的なテロ対策費の投入の結果かも知れないが、、、むしろテロリストの目標は「不安と恐怖の拡散」にある。
テロ行為の発生を知るのはメディアを通じてであるが、なんとも煽情的に書き立てることよ。
ありもしない「大本営発表の戦果」の尻馬に乗り大仰に描き散らかして戦意を高揚させ、発行部数を増やした築地辺りの新聞社と同じ構図だ。
まるでテロ行為の「幇助」に等しいが、報道をするな!と言っている訳ではない。この程度で「知る権利」を毀損されてはたまらない。
やるな!と言っても派手な紙面つくりが飯のタネだから、読み手が「理性的な想像力と緊張感」を持つしかない。
アタシはかようなまでの知力の自信はない、、、から一番簡単な対処として「新聞は読まない」ことにしている。
0 件のコメント:
コメントを投稿