そうそうに四篇仕立ては挫折。
「風」だけでは、気の利いたエセーにはならない。ありきたりな季節の変わり目や移ろひネタなら幾らでも書けるが、それじゃ矜持が許さない。しばらく沈思黙考の時間が必要だ。
なもんで、多少ひねりが利きそうな「月」篇
これまたひねらないと「月並み」になる厄介な美意識。
照明コストが高かった時代。
庶民は日の出、日の入りが生活のリズムだが、無為徒食な貴族は夜が活動タイム。月の満ち欠けの科学的知見はなかったが、満ち欠けに美學を感じた事には間違いはなく、その姿に応じて様々な異名を付けて愉しんだらしい。
英語だと、、、、ちゃんとした美しい語彙がない。苦し紛れの「英訳語」だけだ(^^)
特段馬鹿にはしていない。文化は優劣ではなく差異。
西洋には「月の美學」はなくとも「星の文化」がある。
中華由来の天の河伝説は許容したが、妻問婚に換骨奪胎してオトコオンナの哀しげな恋物語になった。
エビデンスという訳でもないが、月の和歌はあまただが、星の和歌と問われれば、、、、
他にもなくはないが、この伝人麻呂作(万葉集巻七巻頭歌)にとどめを指す。
あまりの秀歌の為か、後年誰も本歌取をしようとは思わなかったようです。
ジョージルーカスも蒼ざめる壮大なスペースファンタジーオペラの雰囲気
なお、和歌山に「県立星林高等学校」があり、校門あたりに人麻呂のこの歌碑があります。
戦後の学制改革で設立されたのですが、なかなか洒落たネーミングです。
ならば「天海や月船」もあるだろう、、、と探したが
ハイ❣️
タカラヅカにはありますなあ(^^)
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