ジョージオーウェルが提起した「ダブルシンク」とは自己欺瞞そのものである。
この歴史的な反ユートピアSF小説が上梓されたのは、1949年のこと。
少なくとも欧米における評価の高さや影響力はバイブルに匹敵する。
大袈裟ではなくちゃんと「傍証」を披瀝するに、、、
英国人に対するアンケートでは「実はロクに読んではいないが人前では座右の一冊と言明する書物」として聖書と双璧なのです。
その影響たるや、スーパーボウル(1983年)のマッキントッシュのCMが余りにも有名だが、実は隠れたる傑作が別にある。
冒頭で「反ユートピアSF小説」と断じたが、21世紀に於いては、生成AIやビッグデータアルゴリズムやらITのおかげで「フィクション」ではなくなりつつある。
ヒトザルが本性を隠して「世を忍ぶ仮の姿」で世渡り出来たのはむかしの話。
いまでも日常生活の端々をビッグデータに極力補足されないような生き方をすれば多少は可能かもしれない。
スマホ、クレカ、ICOCAは持たずに凡そデータ処理されそうなものには近寄らないとか......無理だ。
アタシの寒村陋屋ですら世界と隔絶していないし、寒村であるが故にネットワークとつながっている。
ヒトザルは本来「リベラル」を希求する。
この場合のリベラルは「人間の自由意思こそが至上でありその自由意思に由来する理性的な思考や感情に従い行動する」という考え方を意味する。
しかしながら、、、そんなあるべき世界が本来ありえたかどうかは疑わしいし、今どきは「情報操作」の操り人形になっている可能性の方が高い。
社会政治学者は「輿論と世論」は別物だという。
オピニオンとセンシティブは確かに違うが、オピニオンだって論理の皮をかぶったセンシティブの可能性が高い。
スマホがハッキングされてプライバシーが盗み取られるのは由々しき事だが、自由意思が絡め取られることの方が(あんまり気がつかないが)はるかに恐ろしいことだ。
ウェブサイトの閲覧履歴から、アルゴリズムが提供する商品を品定めするのは勝手だが、、、少しよく考えてみよう。
かようなものを信用するのは「無知は力」である事の容認です。
知らず知らずのうちにビッグブラザーの下僕となっている。
洗脳された者はその洗脳には気づかない。
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