西洋絵画のヒエラルキーは
宗教画
歴史画
風俗画....の順番らしいが、パトロンの歴史の順番でもある。
画家が芸術家と言われるようになったのは近代以降。それまでは絵筆芸人に過ぎない。
とは言え五分の魂。パトロンとの間にはなにかと暗闘や葛藤があったに違いない。
権力者(パトロン)と芸術家の対立って結構そそるものがありますが、喧嘩の理由はよく分からない。
国史で例をあげれば....
道長とレディムラサキ
後鳥羽と定家
義満と世阿弥
秀吉と利休
平安の時代、和紙は貴重品。道長のサポートなくしては長編を書きためることは不可能だった。
原稿用紙換算で2500枚
仮名書きだし書き損じもあるだろうから、この数倍以上の和紙を要したに違いない。
道長は単なるサポーターだったのかな?
最高権力者と住み込みのバツイチキャリアウーマンですからケンカにもならない....
秀吉と利休の件は皆さん色々書いてますが、どれもあまり面白くない。
成り上がり者の似非芸術愛好家の劣等感のなせる発作的な死刑指令程度だと思うだけで充分で、それ以上追求する気にならない。
義満と世阿弥の関係って山崎正和氏の名戯曲(世阿弥)のような葛藤って??
世阿弥にとっては足を向けて寝られない位の大恩ある存在が義満。
佐渡追放の憂き目は、義満没後の話
なんといっても史上稀な名馬と名伯楽の邂逅。
仮にもなかりせば、倭国が世界に誇る舞台芸の世界遺産なんかあり得なかったかもしれない
最新は少年愛程度だったかも知れないが、なんか天分を感じたのでしょう...
To be continued
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