筆者のことはよく知らない。
これだけ踏みつけられてるのに投票行動で怒りの表明をしない事を憂い、若者を叱咤するのですが、、、益々白けますよ。
時代の変化に「選挙権」概念が追い付かず空洞化しているのだから、醒めた主権者はそんな空虚な権利を行使しようとは思わない。
考えるに、選挙権とは「選ばれる権利と選ぶ権利」と思うのが間違い。
少なくとも「選ばない権利」もあるはずだ
筈だと断定するのは、クラシックグリースには既に貝殻投票制度があった。
つまり投票権には「当選して欲しい候補者と落選して欲しい候補者」の両方があり、その差が得票数になると言う計算(それぞれの投票の重みには差をつけないと民意はおかしくなるが)式を導入すべきと言う事。
二枚の投票用紙かいずれか一枚の投票用紙かは、、思案のしどころ。
選挙区毎に最低投票率(最大でも50%だろうが、、)を設定し、満たない場合には当選者なし(再選挙はせずに、次回定例選挙まで代表者を議会に送らない)
但し、鉄板候補者を意図的に失権させる策謀があり得るから、一定の得票率以上ならばその候補者を救済すべきだろう。
代表者を議会に送らない!って暴論だろうか?
選挙権者のいない選挙区はそもそも選挙があり得ないことは、第一回衆議院選挙で事例がある
当時は制限選挙だったが、北海道は選挙権者が誰もいなかった....らしい。
当時の北海道はオンナコドモとビンボウニンしか住んでいなかったらしい
さて実現可能性のない制度改革論は無意味である。
今の選良たちが真面目に議論するはずがないし、そもそも利益相反である。
だから、まずもって「選挙制度改革法」をつくり、国会議員と有識者と選挙権者の代表者でつくる改革実施会議が専権的に全てを決めてしまう...ことから始めるかな。
0 件のコメント:
コメントを投稿