幕府の改革といえば「三代改革」
享保(18世紀半ば)
寛政(18世紀末期)
天保(19世紀半ば)
しかし、これらの時期以外は身分制度の頂点で武家は無為徒食を決め込んでいたわけでもなく
綱吉の元禄治世
田沼時代
なんかもあったわけだが、教科書的評価からすれば、ネガティヴでしかなく、だから復古的な倹約勤勉(つまりはコスト合理化)まっしぐら路線が評価される。特段成功したわけでもないし、文化史的に評価できる時代はこのネガティヴとされる景気刺激型の享楽の頃
つまりは、元禄文化と化政文化。
これらの時代がなかりせば、江戸時代は文化的暗黒時代でしかない。
かといって、神君家康公時代に帰れ!みたいな大方針だけでは保たない事程度の理解力は経済官僚にはあったようだし「馬上で天下を得ても治むるを得ず」くらいのリベラルアーツも教養としては知っている。
だからといって馬上での功績で定った家禄をリセットしようものならば、豊臣政権末期の武闘派と文治派の暗闘になる事も分かっている。
ともかく、家禄は低くとも能力のある奴を抜擢し財政運営を任せないと会社(幕府や藩)は破綻する。
そこで「足高制」なるアイデア
有り体に言えば、ポストが必要とする家禄に足らない下級武士には下駄を履かせるってこと(但し在任中だけ)
別の味方をすれば「学歴」に胡座をかいて能力を磨く努力をしないと代々のキャリアポストを誰かに奪われるっていう厳しい世界だったということ
そんな中で三代改革の中で必ず登場したのが、制度は様々ですが、略々五十年ごとに行われた「江戸版徳政令」
債務免除令
債務履行緩和令(無金利等返済条件見直し)
金銭消費貸借契約訴訟不受理(実質の債権放棄)
この時代は武家の消費で経済が回っており、町人の贅沢を奨励するわけにもいかない以上、武士の困窮は経済の命取りだし、ひいては商人も困る。
大抵は債権者が商人債務者は武士です。
商人はろくに所得税を払う事もなく仮に債権放棄を強制されても五十年ごとにだから、貸倒引当金は充分に蓄えてあるはず...というのが経済官僚の理屈
こんな胡乱なテクニックを弄さずとも、貿易やら新規産業振興とか王道の経済政策をやるべきでしょうが、どうしても超えられないのが「神君の定めた古法の縛り」
その縛りのなかで二百数十年の命脈を保ったわけですから、彼らは相当に有能だった訳だし、幸いにも欧米諸国の植民地になる事もなかった。
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