2021年7月10日土曜日

近衛文麿

 


近衛文麿の事をつらつら書こうとしている。
その当時「白面の貴公子」としてアイドル的な人気だったと言われる。
お金には不自由していたようだが、それ以外ヒトザルが欲しがる物は全てもっていた。
不自由と言っても、ある時払いの催促なしで金主は幾らでもいただろう。

半藤一利氏によれば「帝の次に偉い」と自負していたらしいが、その理由が周知であった訳ではない。
近衛家は藤原北家の流れをくむ五摂家筆頭だからでなく....江戸期の初め男子直系が絶えた為後陽成天皇の皇子が跡を次いだ事による。
言わば臣籍降下なんですが、今風の議論ならば皇位継承権を有する宮家になってもおかしくない。

十一旧宮家のうち、嫡流血統が残っているのは、


久邇

竹田

朝香

東久邇  だけだし、世俗の泥水にドップリと浸かっているらしき向きも....

まだ近衛の嫡流のほうが、、、(^^)



しかし、貴種なるもの、我儘、身勝手、変心、優柔不断、意思薄弱.....と友達にしたくない悪い性格がてんこ盛り。

だからってそれを咎めるものではなくて、かかるが故に「無答責原則」が適用される存在。

広田弘毅もそうだが、あの時代誰がやっても軍部の専横壟断を抗しきれなかったと弁護は可能だが、それにしても酷すぎる。




しかし、生きて俘囚の辱めを受けず....というええカッコしいの美學だけは最後まで貫き通した!

確か「戦陣訓」って東條英機が陸軍大臣時代に令達したんだよなあ。

文民だって見事に自裁したのに、軍人が拳銃自殺に失敗だなんて...




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