半藤一利氏と加藤陽子先生の対談を拾い読みしながらつくづくと...二人は斯様な発言はしておられないが、昭和のテロルとはかくも「亡国効果的」であったと慨嘆するしかない。
君側の奸としてテロに斃れた重臣こそ忠義にして能力ある股肱之臣であったということ。
更にその遺髪を継ぐべき世代がテロに怯えた無能な小心者であったということ。
内大臣なる官職がかつて存在した。
その意味合いは様々だが、律令官制では令外官。
左右大臣の次に位置する重臣とされるが、初代内大臣は、あの史上最大最強の謀臣「中臣鎌足」ですから、計り知れない役割があったはずだ。
その後は単なるキャリアパスにすぎなくなり、明治政府により新たな装いで復活。
帝の側近中の側近であり、明治の元勲達の引退により....それこそ鎌足クラスの異才が必要な時代...最後の内大臣が木戸幸一侯爵。
桂小五郎(木戸孝允)の孫にあたる。
桂の妻は祇園の芸妓だったが、子供をもうけなかったようだ。唯一の実子が木戸好子(母親は不詳)
好子の夫となった縁で木戸孝正(母親は桂の妹)が跡目を継ぎ、その嫡男が木戸幸一(母親は好子ではなく後妻のようだ)
要するに桂の孫と言っても、家名と爵位だけでDNAを継承した訳でもなく、あまつさえ若手華族の京大閥に連なっただけ。
取り柄といえば、ゴルフのオフィシャルハンディが10(当時からすれば凄い!)
昭和天皇ご夫妻もゴルフがお好きだった時期もありましたから、、つまりは趣味仲間って要は佞臣だわ。
ちなみに、毎月七、八回はコースに出ていたというから....そんだけやればアタシだって(^^)
この程度で帝の最側近なんだから、亡国の極み。
市ヶ谷でデスバイハンギングでもよかった
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