衒学的な話なんですが、老子第十八章の有名な言葉、、、、というか反語的レトリック。
大道廃れて仁義あり
六親和せずして孝慈あり
国家昏乱して忠臣あり
要するに、仁義がはびこり、孝行者が目立ち、忠臣が脚光を浴びる時代は......不幸な時代だ。
無為自然な理想は失われ、家族がいがみ合い、国家が乱れる.....ような時代よりも、そんな目立ちたがりに誰も歯牙もかけない時代の方が幸せってこと。
大抵の古典引用では、最初の一行だけ。
従って三行目のコンテンツは史記なんかではむしろ肯定的解釈として使われているが、それは本義では無かろう、、、と思うのが漢籍マニアの見立てです。
例を挙げよう。
お巡りさんが泥棒をした!
とんでもない話ですが、腐敗堕落した国ではそれが当たり前だから話題にもならないし、逆に泥棒を捕まえた司法職員はニュースで賞賛される(^^)
なんだかんだ言っても倭国はまだまだ素晴らしいのですよ
南朝の真実(忠臣という幻想)を読んでいる。
亀田俊和氏の著作だが、氏の執筆意図を離れて全く別の妄想が湧き上がることを抑えきれない。
南朝と言えば「忠臣の宝庫」
楠木親子に始まり、北畠顕家、児島高徳、名和長年、、、とか。
国家昏乱でもなければ市井でのんびりと己れの才覚のまま長寿であったかもしれないのに、図らずも世に出て歴史を名を刻んでしまった。
それに「忠臣」は名臣とは違う。
忠臣は末路哀れが定番。
仕えた上司(後醍醐帝)は暗愚だし、とりまきの宮廷の佞臣(坊門清忠?)には邪魔されるし、凡愚な同僚達(新田義貞)には足を引っ張られる。
楠木正成なんかその不幸の際たる者。
彼の建策を実行していれば南北朝時代はまったく違い様相だったかもしれない。
しかし、踏まれてもどこまでもついていくのが下駄の雪で、その哀しい生き様に哀れしもち上げる....これが忠臣の実像である。
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