全集やアンソロジーの編者は必ず「校正」なるものを行い、明らかな誤植や誤謬を訂正するが、ままあることが改竄まがいの「言葉狩り」
栗林忠道大将の硫黄島から最後の打電の一部
下線部は大本営の発表時に勝手追加された一文ですが、この空虚な字句にはコメントしない。しかし辞世の句の「口惜し」のオリジナルは「悲しき」
どっちが短歌として良いかどうかではなく、辞世の句に筆を入れるなんて冒涜だとは思わないのかねえ。
でえ、、本題ですがこんな事は許されるかなあ?
百人一首にも収録された二条院讃岐の名歌。
通常は「千載集恋部」として紹介されますが、寄石恋(石に寄する恋)なる課題への回答歌
笑点の大喜利みたいなものですが、内裏の歌会で披露されたのでしょう。
あまりの出来栄えに、、座布団三枚なんてことではなく「沖の石の讃岐」の雅称を賜り、盛名は歴史に残った.....とかなんとかならば、そんじょそこらに書き散らかされているから、アタシはあまり知られていない事を書いてみよう。
多分ですが、藤原俊成が千載集に収録する際にオリジナルの「書き換え」をやった可能性が高く、結果的に修正版が世の中に喧伝された
讃岐私歌集では(多少うろ覚え)
わが恋は潮干にみえね
沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
みえぬとみえねの違いは文法的には大きいが、最大の違い、、、どころか和歌の骨格自体をかえかねない書き換えが「恋か袖」
縁語掛詞的な技法からすれば「袖」の方が洗練されているし、忍ぶる恋としても嫋やかで情緒がある。
しかし、万人が最初に感銘を受けたのは当然ながら「恋」のはずだ。
アタシの秘めたるかなわぬ恋
引き潮になっても現れるな!
誰も知らないのよ
潮に洗われる沖の石のようにいつも濡れ濡れのアタシの心
かなり激しい怨情です。
ところで、誰かの鑑賞文だと、裏読み解釈があり父親である源頼政の不遇の身を哀しみ、、、云々
千載集版ならば成り立ちうるかも知れないがオリジナルの「我が恋は」ならば、かなりな無理筋だと思います
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