2022年1月9日日曜日

沖の石の讃岐

 全集やアンソロジーの編者は必ず「校正」なるものを行い、明らかな誤植や誤謬を訂正するが、ままあることが改竄まがいの「言葉狩り」


栗林忠道大将の硫黄島から最後の打電の一部



 下線部は大本営の発表時に勝手追加された一文ですが、この空虚な字句にはコメントしない。しかし辞世の句の「口惜し」のオリジナルは「悲しき」

どっちが短歌として良いかどうかではなく、辞世の句に筆を入れるなんて冒涜だとは思わないのかねえ。



でえ、、本題ですがこんな事は許されるかなあ?



百人一首にも収録された二条院讃岐の名歌。

通常は「千載集恋部」として紹介されますが、寄石恋(石に寄する恋)なる課題への回答歌

笑点の大喜利みたいなものですが、内裏の歌会で披露されたのでしょう。

あまりの出来栄えに、、座布団三枚なんてことではなく「沖の石の讃岐」の雅称を賜り、盛名は歴史に残った.....とかなんとかならば、そんじょそこらに書き散らかされているから、アタシはあまり知られていない事を書いてみよう。


多分ですが、藤原俊成が千載集に収録する際にオリジナルの「書き換え」をやった可能性が高く、結果的に修正版が世の中に喧伝された


讃岐私歌集では(多少うろ覚え)


わが恋は潮干にみえね

沖の石の人こそ知らね乾く間もなし


みえぬとみえねの違いは文法的には大きいが、最大の違い、、、どころか和歌の骨格自体をかえかねない書き換えが「恋か袖」

縁語掛詞的な技法からすれば「袖」の方が洗練されているし、忍ぶる恋としても嫋やかで情緒がある。

しかし、万人が最初に感銘を受けたのは当然ながら「恋」のはずだ。


アタシの秘めたるかなわぬ恋

引き潮になっても現れるな!

誰も知らないのよ

潮に洗われる沖の石のようにいつも濡れ濡れのアタシの心


かなり激しい怨情です。

ところで、誰かの鑑賞文だと、裏読み解釈があり父親である源頼政の不遇の身を哀しみ、、、云々

千載集版ならば成り立ちうるかも知れないがオリジナルの「我が恋は」ならば、かなりな無理筋だと思います





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