大貫美恵子さんの「ねじ曲げられた桜」の書評の第二話です。
桜の持つ象徴性を巧みに利用して軍国的大衆意識が紆余曲折をへながら醸成されていくのですが、必ずしも体系的に構造化されていたとは言い難い。
しかし、、「花は桜木人は武士」という俚諺がある。由来不詳だが(考証に厳格な大貫氏も出典にはふれない)、ネットには根拠もなくあちこちで「一休宗純」の言葉だと、、、、アタシからしても理由は略しますが実に疑わしい。
あちこちに掲載されているのはエビデンス未確認のまま引用を繰り返すネチズンの程度問題だし、、更にこの言葉には続きがあり「木は檜、魚は鯛.....云々」
要するに枕草子のもの尽くし程度の戯れ言。
切り取りされて都合よく使われてきただけの事だが、
言い得て妙!
サイタサイタ サクラガサイタ
ススメススメ ヘイタイススメ
悪名高い国定教科書の一節だが、1930年代以降の教科書らしい。
手っ取り早く刷り込みを行うには五感に訴えるに如かず。
愛国歌謡とか軍歌にはなんちゃって桜さくら
幼くして共に入隊し、鍛え上げられ満開の桜になり、最前線で桜のようにパッと散り、、、靖国の桜となって再生する....あの「同期の櫻」なんてかくも罪深い。
歩兵の本領もまた然り
万朶の桜か襟の色.....散兵線の花と散れ
桜は散れば来年にはまた花を咲かすが、生身のヒトザルはそうはいくまいに、、、
一方で軍徽章としての桜は明治初期から使用されていたし、国家の暴力装置というか武官系は桜に対して、文官は橘....文化勲章は主上の御意向もあり、橘の意匠となった。
一方で、桜文化の海外移転(要するに新たな植民地への植樹活動)も盛んに行われた。
思い出すに....アタシのボスだった某氏
乃木神社の満開の桜の写真を自身の公式サイトにアップし、、
遠く異郷で家族と別れてビジネス戦争の最前線で戦う部下達への春の気分のはなむけ
すこしですが、ウルウルと来ました。
コリでは植民地支配の悪しき象徴として伐採運動が声高に叫ばれるが、単にさくらを愛でて何が悪い?って良識ある声もあるやに
ある種の文化交流なんだが、、、頑迷固陋には如何なる薬も無駄ってこと
今と違い多様な情報に触れる機会の少なかった時代。
大新聞に影響されたパプリックセンシティブの悪行こそが、、、
メディアの罪深さはいまも変わらないし、その罪深さに自反の気持ちがないのも変わらない。
だっからアタシは紙新聞もテレビも観ない
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