アタシの母校は明治の中頃に開校した。
名題は当時の校歌の歌い出し、、なんですが、最近まったく新しいモノに置き換わったようです。
歌詞が古めかしい、、とかなんとか産業構造の変化あるいはダイバーシティの時代に相応しくないとか
当時は緑なす水田ばかりの風景だったが、今は開発が進んできたし.....
それよりも紀州五十五万五千石なるものが結構疑わしい。御三家なんだからそれなりの石高が必要なもんで
伊勢の地を紀州藩の飛地にして数字合わせ(多分ですがそれでも足らないから数字をかなり舐めたはずだ)
藩内では米どころかも知れないが、全国的に自慢するようなものかは、、、解らない。
おかげで類を見ない苛政....なんと八公二民!(税制上のカラクリはあり、本当にアガリの八割を掠め取られたら、百姓は死ぬ)
小学校には二宮尊徳の造像がつきものだが、アタシには記憶がない。かわりに校門には昔と同じ母に手を引かれた子供との母子像
けだし校歌のイメージですが、昨今は父子家庭もありますし、両親に捨てられて祖父母が育てていることもあるし、校歌よりもこの像の方がよっぽどアナクロニズムだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿