末の松山の和歌には、
越える
波(浪)、、、が付き物(普通は両方で稀に片方)
後は雪が舞ったり、越すからの連想で馬齢を重ねたりあとはオトコオンナの契り(御約束としてあてにならないものとされます)
秀句らしいのを選び、うたあわせ、、、なんだが、さほどのものはない。
名物に美味いものなしと同じで歌枕和歌も似たところがある。
でえ、、、苦吟の末(^^)
藤原良経から二首
人身位を極めた名門の貴公子なんだが、何故か薄墨色の虚無感が滲む和歌ばかりを作ります。
どちらも勅撰集には収録されていません。
末の松山歌らしからぬ屈曲したレトリックが嫌みにおもえたのかなあ?
知るや君
末の松山越す浪に
なほも越えたる袖のけしきを
末の松待つ夜いくたび過ぎぬらむ
山越す波を袖にまかせて
後者は六百番歌合の和歌
前者はその三年前の作だそうですが、後者のための試作版みたいな.....(^^)
新古今の時代ともなれば、簡単に松山を浪がこえるようになるし、字句のリフレインありとかレトリックも進化します。
袖に涙を思わせるあたりは浪の縁語でもあり、いささか技巧がち。
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