あまりにも有名な宮城県多賀城市の歌枕
高台にある2本の松は現存(無論何代目かなんだろうと思います)
貞観大地震(九世紀半ば)の際、近年の大災厄においても津波はこの松の手前で止まったという。
百人一首収録のこの和歌は、末の松山をうたう和歌の最高峰かどうかは知らないが、たまたま定家が選んだものだから周知度だけはトップになりあまたな本歌取りを生み出した。
しかし、作者の清原元輔(清少納言の父)の時代は十世紀だしこの和歌は後拾遺(十一世紀)に収録。
つまり、これに先行する末の松山歌が当然あった筈。
古今和歌集巻二十(東歌)
根拠もなく印象的に言えば、この和歌辺りが濫觴ではなかろうか?
この和歌も結構著名
古今和歌集は十世紀の初めに完成していますから、時代的には合致します。
趣旨的には上記の通り「心変わりをしようものならばあり得ないような大津波がやってきますよ」って、、、あんまり大袈裟に誓われると逆に疑わしく思えるんですよ(^^)
古今の方は「結婚式あたりの誓いの言葉」風ですが、
後拾遺では、ナミダ涙の契りも.....空しくて女心は風の中の羽根のよう、、、だと女々しいオトコ
でえ、もう少し時代を下り「末の松山歌合」でも.....
歌選びに多少の時間を要しますから
To be continued
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