みかどの思いとはうらはらに元号に込められた思念は、、、施政者の不徳により(としか言いようがない)
改めてかの三十年を振り返ってみた。
西暦ならば、1989年から2019年まで。
個人史的には不惑の頃から従心手前までの「企業戦士の時代」
冷戦の終焉から経済の絶頂期(バブルって当時は誰も思いもしなかった) を経て、、、911は新たな文明の衝突の始まりだったし、度々の自然と経済への大災禍は倭國の社会構造を変質化させてしまった。均質化された平穏な日々(古き良き昭和)はもう帰ってこないかも、、、帰ってくるとしてもはるか先かも。
施政者には「三つの資質」を必要とする
心の静穏(変えてはいけないものは変えない)
勇気(変えるべきものを変える)
賢さ(これらを見極める)
アルフレッドスローンならば「変化への対応力」というのだろうが、こんなキャッチコピーに飛びつく経営者はなんでも変えてしまいがち。あのウェルチの「弟子」たちの経営の失敗と同じだ。
だから、むしろ「ニーバーの祈り」の方が参考になります。
政治史的にみて平成期は「大激動」だった。
選挙制度の改革が、行き詰まった55年体制を駆逐したのは確かだが、新しい統治システムを生み出したかどうかは、未だ道半ば、、、いやいや袋小路かも?
今の倭國の統治原理(憲法の理念)は
国民主権
平和主義
基本的人権、、、に尽きるが、その担保として三権分立と議会制民主主義がある。
残念ながら、どっちもかなり機能不全を起こしている。
極論を言えば「くにのかたち」は議会により作られるという建前からすれば、如何に良質な議会の構成員(議員)を選ぶというシステム構築は憲法レベルの重大関心事であるべきだし、個々の議員は政党の傘の下で行動すると思えば「政党の規律」に無関心な憲法の存在こそ理解に苦しむ。
基本的に「改憲論議」のターゲットを間違えている。
衆議院の最初の選挙は「ほぼ完全に近い小選挙区制度」で行われた。大選挙区、中選挙区とそれなりに比較評価はやったみたいだが、決め手は従前から馴染んだ旧藩体制下でのコミュニティ単位に「地方の富裕名望家やその支援を受けた政治活動家」から議会の構成員を選ぶべきという考え方だったようだ。
その後選挙権要件改定に伴い、大になったり、中になったり、、、戦後は長く中選挙区制度下にあった。
小選挙区制度に関しては、二大政党化につながり、死に票が増える、小政党が不利、、、とかと難じられるがそれの何が悪い。
そんな事を言い出せば決選投票はできなくなるし、小規模政党の乱立は政治を不安定にさせる。
結果として、、、重複立候補比例復活容認型比例区制度が、以前の中選挙区制度以上に議会を劣化させてしまった。
かつてはコンセンサス型議会統治だったが、それを二大政党化による多数決型統治に変えようとしたはずだったのが小選挙区制度への移行
そうは言っても既存の小政党の生存権をどうしてくれるんた?ってはなしになったから比例区の導入。これはこれで時限立法的にはやむを得ないが、段階的に比例区議員を減らし、参議院の比例区定員増なり中選挙区化をやるべきだった。
一票の格差問題ばかりにかまけて、二院制の特質を踏まえての多様な民意を汲み上げる統治のシステム構築するにまで思いが至らなかった、、、と言えば言葉が過ぎるかなあ
コンセンサス型統治というと言葉は綺麗だが、妥協の産物で、竹に木を継ぐとんでもないものが出来上がりがち。
最悪の事例が、今そこにある。
To be continued
0 件のコメント:
コメントを投稿