2023年5月3日水曜日

本歌取りのこと

 歌学における煩雑な約束事は横に置きます。

少なくとも、本歌取りの歌から本歌が連想出来ないと論外だ。洒落が判らないってこのこと。



のせたから
さきはあわづかただのかご
ひらいしやまやはせらせてみい


狂歌ですが、蜀山人の畢生のスマッシュヒット
カゴ屋の主人から、八景を折り込んだ歌を作ればカゴちんをタダにすると言われ・・

乗のせた(瀬田)からさき(唐崎)は粟津堅田(あわづかただ)の籠
比良石山矢橋(ひらいしやまやはせ)らせて三井(みい)

さて、、、本題はここから
更にエピソードは続きます。

負けて悔しい花一匁(^^)
八景を俳句で読んでくれれば、さらに・・・(まるで負けのこんだ素人賭博師ですねえ)
蜀山人、慌てず騒がず・・・・

七景は 霞に隠れ 三井の鐘


いわば、短歌を俳句にリフォームした本歌取りなんだが、、、いささか疑念があるのよ

加賀千代女(十八世紀の白山あたりの俳人)の俳句に

七景は 霞にかくれ 三井の寺  ってあるんです(正確にはあるらしい)


蜀山人は十八世紀から十九世紀にかけての、、、昼間は有能な管理部門系の国家公務員、アフターファイブは文化的素養を振りまく遊び人(アタシの理想とする行き方だ)

多分だが、千代女の俳句の最後だけを補筆した可能性が高い、、、が、出来栄えも文脈的にも「三井の鐘」が相応しい


ともあれ蜀山人が出来たことくらいは、その足元程度はやってみたい、、、アタシ


夏の月 光をしまず 照るときは 流がるる水に かげろふぞたつ(興風)



藤原興風は平安初期の下級官人にして歌人(百人一首にも収録されてます)

この初夏の綺羅めんばかりの月の光の風景描写はなかなかのもの(勅撰集収録は未確認)

この秀歌を不肖アタクシが俳句にリフォーム


月陽炎(かげろひ)立つ夏の日の水面






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