2023年8月1日火曜日

ほたる

 

清少納言の美意識からすれば、春は曙だし、秋は夕暮れに冬はつとめて。

時間の流れ的に対句すれば「夜」にしかなりようがない。

しかし、夏が夜なのは「闇にほのめく蛍」があるからであり、かかるが故に夏和歌の歌題としては「蛍」に如かずってことだ。

ただし、蛍は単に叙景にとどまるだけでなくさまざまなメタファーを内在し、歌想を多元化する。

だから難しい素材だからロクな歌がない。



須磨の浦 藻塩の枕 とふ蛍
仮寝の夢路 わぶと告げこせ(定家 拾遺愚草)


お題は「海辺の蛍を見る」

アレコレ仕掛け満載に凝りに凝った和歌です。
先人たちの詞章の工夫を全て取り込み一旦は解体し、再構成する、、、果たして成功したのかしら?




蛍といえば「魂」の化体ということをズバッと言い切ったのが貴船神社で詠んだ和泉式部の名歌。
あまりの出来栄えに祭神が歌を返したと言われるくらい、、、


もの思へば沢の蛍もわが身より
あくがれ出づる魂かとぞ見る  (後拾遺集)


神からの返歌(下の句だけ)


玉散るばかりものな思ひそ(式部や、そんなにおもいつめるものではないよ)



須磨の浦はヒカル君が不倫騒動(皇太子の婚約者を誘惑)の果て都ところ払いとなり、謹慎していた場所ですが、その先例が在原行平(業平の兄)


わくらばに 問ふひとあれば
須磨の浦に藻塩垂れつつ
侘ぶとこたへよ

高位高官であった貴族さまが塩田職人にまで身を落とすわけはないが、はるか淡路島なんかをひねもす無為に眺めていた、、、だけじゃなくて、海辺の姉妹(村雨松風)と結構楽しく遊んでもいた。


罪が許されで、、、君たちが待っているって風の便りがあれば直ぐに戻ってくるからね、、、なんとも空々しい和歌を残したそうな

しかしこれらの和歌の本歌は伊勢物語45段らしい

行く蛍雲の上までいぬべくは
     秋風吹くと雁に告げこせ

片想いの果てにオンナは薨るのですが、夏の終わりの頃オトコは高く飛びかう蛍をみて....
しみじみと、、、なかなか味わい深い和歌


定家はアレコレ先人達の和歌のモチーフを散りばめ、極上の細工物のようなちらし寿司風に作り込んだのですが、いささかやり過ぎ。
だから勅撰集からは忌避されたのでしょう

何事も、すぎたるは(^^)




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