異名とは、その字義の通りである。
通称、あだ名、リングネーム、キャッチコピーとかなんとか・・・・
ある種人気の証しではあるが、王朝歌檀の世界からすれば、一点豪華主義歌人の代名詞であり、超一流ではないということでもある。
多くは一発屋・・と言って悪ければ、たまたまの畢生の大傑作が生まれただけのこと。
かかるが故に、歌物語的ドラマツルギーもあって、よけいに歌名がたつ。
薄く濃き 野辺の緑の 若草に 跡まで見ゆる 雪のむら消え(後鳥羽院宮内卿・・若草の宮内卿)
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ見えね 乾くまもなし(二条院讃岐・・沖の石の讃岐)
忘れじな 難波の秋の よはのそら 異浦に澄む 月は見るとも(宣秋門院丹後・・異浦の丹後)
恋ひわびて ながむる空の 浮雲や わが下もえの 煙なるらむ(周防内侍・・下燃えの内侍)
待宵に ふけゆく鐘の 声聞けば 飽かぬ別れの 鳥はものかは(太后太皇宮小侍従・・待宵の小侍従)
いずれもが中堅どころの住み込みのキャリアウーマンである。
表舞台じゃえらくはなれないが、公式の歌行事や
アフターファイブの合コンでは絶対に負けない自負が名作を生む。
巷間聞き慣れた異名の羅列は、単なるイントロでどうでもいい。
これなんかも、異名がたってもいいと思うが、単なる普通名詞の流用としか思われていないようだ。
それが残念至極って事が今日のお題。
はるかなる もろこしまでも ゆくものは 秋の寝覚の 心なりけり(大弐三位・・唐土の三位)
本歌があるようで・・
もろこしも 夢に見しかば ちかかりき 思はぬ中ぞ はるけかりける(古今集 兼藝)
本歌は遠近を対比させた理知的な歌ですが、
三位の方は「オトコに飽きられたワタシの嘆きって、遥か彼方の中国全土を覆い尽くすほど凄いんだから・・・」とはなかなかやりますなあ。
千載和歌集の秋の部の巻頭歌の栄に輝きました。
お母様(レディムラサキ)は、歌人としての名声はなく、その汚名をムスメが晴らしたってことですが、
いわゆる「秀句表現」じゃないってことで此処でも親子二代損をしてます
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