清朝版(象徴の設計)は、評伝というよりも歴史の部分描写というべきか。
岡義武教授同様にタイトルに「象徴」が使われている。刊行されたのは岡教授の著作が先行するから、清張がなんらのインスパイアを受けたかもしれない。しかし、語義の使い方に相当な差がある。
岡先生は「戦前日本それ自体のシンボル」、、、つまり山縣有朋が戦前政治の巨魁だと断じている。
他方、清張もそれを否定するものでは無いが、むしろ「天皇一神教なる国体」の堅持のためのさまざまな暴力装置構築のための企画及び基本設計更には詳細設計までを手がけたのが山縣有朋だと喝破する。
明治憲法も、かなり不徹底な立憲君主体制憲法ではあるが、良識と自制心があればある程度のデモクラシーが成立する事を歴史は教えてくれた、、、当時の最先端のワイマール憲法がナチスヒトラーの生みの親であるように。
明治憲法が「統帥権」の暴走により機能不全に陥ったのは、ひとえにその遠因が、山縣有朋があれこれ腐心した「軍人勅諭」にある、、、ってそうかも。
軍隊を権力基盤とする山縣有朋にとって軍の叛乱はあってはならない事だし、その対極にある人民の反抗もまた然り。上意に盲目的に従い不逞分子を鎮圧するハードとソフトの力こそが最重要事項。
0 件のコメント:
コメントを投稿