それにしても暑い。
昨年までは、暑い時期こそエアコンがんがんの中でサッパリ系のアツアツお鍋が一番と嘯いていたが、、、ことしはダメだ。
これも加齢かしら?
去年出来た事が今年は出来ない。
せめては、気分だけでも涼しくなる和歌を探し出したが、、、夏に多少涼やかな気分にさせるのは
秋ぶくみのかぜ
蜩のこえ
真夏の風景ではないし。つまり軟弱な王朝歌人の精神では無理。せいぜいが「住まいは夏向きに」って兼好法師の浅知恵くらい。
しかし、我が寒村の陋屋だってかつては夏には障子を締め切らないと寒くて眠れないって言ったものだが、昨今は開け放ち、一晩中扇風機のお世話になっている。
あまり得意種目ではないが、漢詩の世界を逍遥。
晩唐のキャリア詩人である、杜筍鶴の「夏日、悟空上人の院に題す」
このオトコ、人品骨柄卑しいと言われた悪徳官僚だったらしく(あの朱全忠の腹心だもん)詞章自体は本人ではなく伝不詳の僧侶のストイックなさま
真夏の盛り粗衣に身を包み、端然と坐禅を組むに日陰を選ばす。涼しい山中や水辺でなくても夢想無念無我の境地に至れば、紅炎の焔だって涼しく思える。
最後の一行
心頭滅却すれば火もまた涼し なる偈として有名になった(碧巖録に収録されています)
喝破したのは、甲州恵林寺の快川国師。
よく知らない方ですが、帝から国師号をいただくほどの名僧らしい。
思えばよくある参禅会って実にいかがわしいってことだ。
早朝なんかのまだ気温の高くない頃にひんやりとした禅堂で、、、、本気で火が涼しく思いたくなる環境じゃないところでいくら坐禅をやっても.....
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