富田常雄氏の「姿三四郎」はその要素が強い。
しかし、漱石の「小川三四郎」が教養小説だと誰が言い出したのだ?
あまつさえ、Wikiには「本邦初」の教養小説とまで書いてますが、そんな事が栄誉になるんかいな?
主人公がさまざまな体験や葛藤の中で成長してゆく過程を描くのが教養小説ならば、大抵の青春小説は教養小説である。
そして主人公に己れを重ね合わせ自分自身も成長しようという意識を醸成しつつ読むものだが、、、小川三四郎君にはあまり共感する所はない。
大学で真面目に勉強している様には見えないし、友人は調子が良いだけでロクデモナイし、美禰子さんとの恋愛モドキが多少の糧になったようだが、所詮は上京の車中で遭遇した職工の妻が言うように「度胸がない」三四郎くん。
生涯「迷える子羊」のままだな。
ある意味で「坊ちゃん」と非対称的相似形だ。
江戸っ子らしく思慮なく出たとこ勝負で四国の片田舎に出奔。傍若無人に都会風を吹かせて、、、あげくは後足で砂をかける様に舞い戻る。いまでは早慶上理の一角を位置する学卒エリートですから、さほど苦労もせずに都電の中堅マネージャーのポストを得て、下女のお清と同じお墓に入るまで能天気に人生を満喫したのだろう
漱石学の世界では、三四郎の登場人物にはそれぞれモデルがあるとされる
里見美禰子は平塚雷鳥がモデルらしい。
心中未遂事件の片割れが漱石の「度胸ありすぎる」門下生だった事の縁。
事件の後始末として二人の結婚を漱石が画策するのだが、雷鳥からは是非なく断られている。
そんなこともあってか、漱石の筆はどことなく冷ややかだ。
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