2023年11月30日木曜日

もうひとつの「Wの悲劇」

 むかし、、、斜め読みした記憶がある。

ドラマ化されていたらしく、配信がそろそろ終わりって言うから


よくある警察系連作短編集です、

しかしなあ、、、W県警って何処なんだ?

一般に都道府県名なんだが、Wのつく県名ってひとつしか知らない。


なんとも旧態然としたオトコ社会な警察本部です。

悲劇の主役は各編とも「女性」司法職員。

それでなくても、働く女性、とりわけ家庭持ち、子供もちはなにかと苦労が多いんだし、加えてこの体質の県警だもんなあ


因みに、アタシが知っているW県警がモデルではないだろう(とキッパリ)

旧態然としているかどうかは知らないが、この地域の住人はマトモな倭語の発音が出来ない(ザ行とダ行の発音が混濁するし、稀にラ行も怪しい)し、敬語という美しい言語体系が希薄。

オリジナルを読んでも、ドラマもマトモに標準語でしたから(^^)




ドラマ版は全体を通して、芦名星扮する県警初の女性警視が卓越した能力を発揮しての狂言回し。女性司法職員がカラム事件を解決し、とうとう警視正にまで上りつめる、、、しかし、彼女に悲劇がって展開。

原作のプロットを生かさず殺さず、、、細部はかなり粗雑なんですが、まあそれなりにできている部類かな?



知らんかったが、この主役女優、、、自裁(?)してるんだって。

それこそ「悲劇」です。




2023年11月29日水曜日

音楽の愉悦

 





今年の「レコード大賞」の候補と、、、なんだね、この「特別功労賞」って?

それについては論評しないが、今年を代表する「アイドルと呪術回戦」を横に置いて何をやってるんだ。

だから、グラミー賞と違って、畏怖も尊敬も憧憬にも無縁なのが、レコード大賞




非難や批判するのはまだ見捨てていない証しだと思えば、、、いまやアタシは完全無視だから(^^)

 
・・・ここまで書いたところで書きたいイメージが胡散霧消してしまい、、、
石井宏先生の「反音楽史」を再度拾い読んで、元気が出ました。
この著作は(山本七平賞受賞作らしい)痛快で刺激的で反語的なのです。
刷り込まれた天動説みたいなものから距離を置いて冷静に音楽を見つめることができます。
アタシが読むよりも、正座して精読すべき業界人は数多いそうだ。


さて・・・(先生のご高説をベースに)

  
①音楽史は、作曲家史であっていいのですか?

譜面はそれ自体設計図に過ぎず、出来上がった構造物=演奏物こそに価値がある。
先生は、記譜のことを「音楽の骸骨」ってまで言い切ります!
グールドが弾くからこそゴルトベルクは名曲であり、手前どもだと漬物が腐る



悲しい酒も涙の連絡船も名曲たる所以は、ひばりさんやはるみさんの絶唱があるからです。
矢切りの渡しも、彼女の唄があるから名曲なのよ(他の歌い手さんではダメ!)



 
②高踏音楽と低俗音楽って誰が分類したの?
 
バロック時代や前期古典派のころまでは、そんな区分はなかったと言われています。流麗で楽しい旋律は、生活の一部でした。
デイベルテイメントって・・・まあ食欲増進薬や睡眠導入剤の代替物だったのです。
みんなが楽しめる音楽こそが本流であり、難解な精神性のみを追求するのは大衆を困惑させ、遠ざかるだけ。
変にお薬にたよる現在よりもはるかに健康的ですが、
モーツアルトさんも不幸なことに昔は「♪♪お母さんと一緒学派」と貶められていたのです。
そんな彼だって、やろうと思えば、レクイエムもつくれます(残念ながら未完で、この部分だけは他人の筆が入っていない)
  


③記譜通りに弾かないとだめなのか?

少なくとも、コンクールでは絶対に駄目です。しかしキースジャレッドの即興演奏って記譜以上❣️



自己流のコロラテイーナ(装飾音)をいかに駆使するかで技量を問われることもあります。
技量はあっても、創造性にかける音楽家もいたらしく、モーツァルトさんはそれようの楽譜を書いてあげたそうです。
表現に関する記譜符号に関する限りは、演奏家は作曲家の奴隷ではない・・と思うのですが、それでも
ここんところは、プロ演奏家と意見を異にするみたいだわ。
モーツァルト演奏家として定評のあるリリークラウスによれば、、、


才能があるんだから素直に弾けばいいのに、変に気を衒って


 
④ドイツが音楽の保守本流なの?
 
音楽用語の多くはイタリア語ですので、源流は、他の文芸同様に古代ローマ以来の芸術の伝統を基盤としています。
18世紀での一流(とされる)の音楽家は、イタリアン人であり、ドイツ人であれば、いくら優秀であっても二流とされました。
だからそれなりに認知されようと思えばイタリア留学の看板が必要だったそうです。
モーツアルトさんの悲惨で不幸な人生の多くの理由は、その人種性と学歴にあったとされます。
ライバルといわれたサリエリってイタリア人だったんだって
才能がはるかに凌駕しても、駄目なのは駄目なんです。
門閥とか学閥みたいですねえ。

 
⑤声楽と器楽はどっちがうえなの?

人類にとって最初の「楽器」は、自前の声。
そして、究極の楽器。
なんと、女性の高音を男性のような強くたくましくうたうためにカストラーデ(去勢歌手)まで作り上げてしまった。 
声楽に適した言語はイタリア語の右に出るものはない(らしい)
けだし、イタリアオペラこそがオペラの頂点であったのは、それも理由のひとつらしい
ロッシーニ・ベルデイ・プッチーニ とその系譜は音楽史そのものではないか。
しかし、いまや、どっちかといえば器楽 それも交響曲が上位を占めるのが社会通念化している。
どうも、声楽の技量が衰え、器楽の楽器の性能が向上した技術的要因が主因ではないだろうか?
石井先生の説によれば、これはドイツ人音楽評論家の陰謀らしい。
ドイツ語は、思弁するとか論理を語るには適しているが、愛や恋には不向きである。
同じ「苦悩」であっても苦悩の性質が違い、異性に対する憧憬もその様相を異にする。
どうあがいても、イタリアオペラを凌駕出来ない以上、下等音楽のレッテルをむりやりに張ったということである。

 
⑥正しい「歴史認識」とはなにか

ヨーロッパの文芸がルネッサンス以降イタリアが本家&元祖で、それがフランスに移植され・・・ゲルマンの地は最後まで蛮族の文化はつる辺境の地であった。
それが当然でしょう。
ドイツが発展するのは、19世紀以降の軍事的勃興以来であり、普仏戦争で頂点に立ち、第一次世界大戦の敗北で徒労に終わった。
その間の、観念性豊かに厳格・堅牢・権威主義なドイツ文化は、日本に多大な影響を与えた。
最近は患者さんのことを「クランケ」って言わないらしいのは慶賀の至り(笑)


   
ともあれ、50年間の権力主義的な時代は終わったのですが、長年の刷り込みは簡単にはぬぐえない。
音楽史において、ベートーヴェンさんは分水嶺です。
だって、それまでの音楽家は、みなさん鬘に金粉と半ズボン。
彼以降ですねえ・・地毛振り乱して・・・ちょうど音楽界のサンキュロット派です、
フランス革命って音楽にもとんでもない影響を与えたようです。


 
音楽は楽しい。楽しいから音楽を聴く。
高い精神性も、それを楽しめるからである。
カルメンやマダムMのクライマックスで泣くことのない蝸牛庵も、グリザベラが天上に上るCATSのエンデイングでは毎度泣くのです。
たかが大衆音楽ですが、感動を与えられない芸術はクラッシクであってもそのうち死滅します。
 
 
えっと、誤解を恐れずに言えば音楽にどのように「楽しみ」を得るかはそれぞれです。
崇高な精神性に涙し、その権威性にひれ伏し、かの難解性に打ちひしがれる・・・楽しみ方も否定はしませんが、音楽にはやはり、南欧の陽光がお似合いだと思うのです。


2023年11月28日火曜日

難解漢字、、、ゆづるは或いはゆずるは

 


やたらと画数が多いだけが難解でもない。
漢字ではなく国字と思ったが、諸橋大漢和に収録されているし、音読みもあります。


縁起木らしく「代々良いものを継承してゆく」という意味があるそうだが、今は人名漢字には使えないのでしょう、むしろ「譲」が一般的。

見た目の字面のよさから「弓弦」も使われるが、これは杠葉の主脈が弓の弦に似ている事に由来するし、人名に使える漢字が並びます。


困ったことに


ゆずる(は)

ゆづる(は)、、、のいずれのフリをつければいいのか悩ましい。


しかし、ゆずる、、、ならば弓に弦はおかしいだろう。弓弦ならば「ゆづる」だ。

やっぱり「代々の良いものを次に伝えた」ならば、それらしい漢字をあてないと、、、

倭國は「言霊」のくに。

言の葉をええ加減に使えば、不幸は訪れる。



下世話な話に参戦すると品位がさがるが、、、ホンマに結婚、つまり「入籍」したんですかねえ?入籍したならば、ふつうは「妻」と呼びます。

アタシは、我が家の「ケメコさまとかみーちゃん」とは呼びますが、少なくとも第三者的な「お相手」なんて、冷ややかな言い方は絶対にしない。


.....

気づいた人はあれ?って思う。

旧仮名遣いでは「ゆずる」はない。万葉集の用例は全て「ゆづるは」である。

が、しかし、、、、歴史的仮名遣いなるもので国家統制を受けるまでは定家仮名遣いが本流であった。その定家仮名遣いも、万葉の時代の用例に準拠したわけではなく、、、まあ定家の独断と趣味で決めつけたものだが、そこはそれ、定家の権威であり、かれは古典の写本に際しては原文の仮名遣いを定家仮名遣いに改めている。

だから、、、


かほる

かをる....どっちが正しいっていわれても(^^)


2023年11月27日月曜日

ナポレオン

 



場所はわかります。

長靴半島の西側の島。

北側がシチリア、南側がサルディーニアですが、シチリアは歴史的な経緯もあり(委細は塩野女史の著作のおかげで知ってますが)今はフランス領。

しかし、、、風土文化がフランス的かどうかは?


我々は、ナポレオン・ボナパルトだと思っている。しかし、かのコルシカ生まれの砲兵士官は「ナポレオーネ・ブオナパルテ」と元来そう呼ばれていた。聴覚的にはフレンチではなくイタリアンである。



映画に最多登場する偉大な人物は、ナポレオンらしいが、およそナポレオン(が登場する)映画は見た記憶は皆無とは言わないが、極めて少ない。

リドリースコットが大上段に「ナポレオン」なんて映画を作ったもんだから、今更ながら予備知識の修得。


公設貸本屋から佐藤賢一氏の史伝小説を借りてきた。

様々な逸話は知っているが、マトモに経歴を知っているわけではない。

まずもって「ナポレオーネ・プオナパルテ」ってのが主人公の名前らしいが一体誰なんだ、、、浅学菲才とはおそろしい(^^)

ナポレオンが名前でボナパルトが苗字のようだ。

欧米はファーストネームで呼ぶ文化だと言われるが、それは日常的な下々のこと。

有名人ではやはり珍しいと思うが、理由までは知らない。


とかなんとか、つまらないことにひっかかり、肝心のナポレオンの生涯を陳述するのは次回以降だ。



2023年11月26日日曜日

キャロル・キング

 



NY生まれでCAで活躍したユダヤ系のシンガーソングライター。
70年代に人気沸騰だったが、今となってはほとんど忘れていた(まだ御存命のようです)


この種の、、、伝説のライブコンサート映像が半世紀ぶりに公開ナンタラカンタラって

まあ、懐かしいからアート系シネマに足を運んだ。


閑古鳥と思いきや、、、、こういうのって、フィルムを大事に温めて、満を辞して公開するのかなあ?

しかし、ウッドストックフェスティバルは、即座にライブ映画が公開された



今となっては、憶えている楽曲はこれくらいしかない。

71年の全米チャート第一位だと、ググれば、、、





2023年11月25日土曜日

選挙の年

 




まずもって、アメリカン大統領選。
共和党候補は、怒鳴る度にほぼ決まったようなものらしい。「頭の良い方のトランプ」は何故か知らないが失速。

ところで、アメリカン大統領のIQランキングなるものがある。最初にカリフォルニア大学の先生が公表し、その後さまざまな補足バージョンがある。測定方法や委細はよく分からないし、ある種のお遊び(^^)


概括すれば、皆さん130程度のレベル(統計的には人口比でたった2%しかいない)ですから、ヒトザルの平均値では務まらない職業。アタマガワルイと思われているブッシュやトランプも、なかなかの数値みたい(^^)



因みに、民主党はバイデン以外の候補者はいないのか?選挙民は2020のリターンマッチなんか望んではいない。

やる気のある現職を辞めさせるわけにもいかず、、、バイス候補が誰か?の方に興味津々(バイデンが当選しても任期全うは困難だ)


ロシア大統領選挙も来年だが、真っ当な選挙システムとも思えないので、論評してもしょうがない。

むしろ、台灣総統選のほうが、、、、あんまりメディアが取り上げないのは不見識というもの


さて、倭國ですが、、、


参議院選挙

都知事選挙

衆議院解散総選挙?あるいは内閣総辞職解散?



だからなんなんだ?って、あまりワクワク感がない。

無関心ではないのだが政権交代の可能性は皆無だし、、、主権者として無責任であってはならないとは思うのだが、、、


釈明をすれば、あんな選挙制度だとマトモな選良を選ぶのは無理だから、、、背を向ける事自体が意思表示

2023年11月24日金曜日

学問のすゝめ

 


浅学菲才はいまさらながら、、、全滅とは慚愧にたえない。

がしかし、、、、(^^)

福澤(尊称略)一世のベストセラー「学問のすゝめ」初編の冒頭の一節はあまりに有名ですが、、、


明治五年に初編が発表され、明治九年まで合計17篇に及ぶパンフレットがこの学問のすゝめ(合本されたのは明治13年)

なんと300万部も売れた(当時の倭国の人口は三千万人程度)

こう書けば凄いとは思うが、これは「累計刊行部数」であり、ある種の誤解を生む(アタシも連作小冊子とは知らなかった)



それに、冊子の書き出しなんだから「続きはあるのは当たり前」だし、どの部分を「続き」というかまさに恣意性そのもの。

たしかにこの文節は冊子の何処かの中にありますが、探すのにかなり苦労した。それに上の句と下の句の平仄があわない。

舶来の天賦人権論で鬼面ヒトを驚かせ、下の句は古来より言い古された勧学論。

似たり寄ったりだが、身分の違いが学の志しを妨げてよいとは誰も言わない。

地方ブルジョワジーは概して篤志家であった。

貧農の倅でも頭がよくて見所があればふんだんに奨学資金を与えたし、財産のない民権運動家を援助して国会に送り込んだのも彼らだ。第一衆議院選挙の当選者をみればよく分かります(着の身着のまま国事に奔走してきた連中だから普通ならば被選挙資格があろう筈がない)



参考に、北宋真宗皇帝の勧学文。

普通に白文でも文意は分かると思います。


富家不用買良田     
書中自有千鐘粟     
安居不用架高堂     
書中自有黄金屋     
...    
娶妻莫恨無良媒     
書中有女顔如玉     
男児欲遂平生志     
六経勤向窓前読


2023年11月23日木曜日

ブルージュ

 



書庫の整理、、、、たいていは過去との彷徨



この街を訪れたのは、89年の秋の頃。
曖昧ですが、パリ北駅から列車に乗った筈だ。
手違いでコンパートメントがオーバーブッキングなので、やむなく二等車、
対面のエリック・ロメールに登場しそうなおしゃべりな二人の女の子の戯言を片耳に(無論、仏語は当時は皆目判らないが)一路目的地へ。

とある忘れられた商業都市を訪れることにした。
いまでこそ、世界遺産で有名になりましたが、まだ、極東の果てではそう認知度は高くなかった。

明るい秋の陽射しは、柔らかく、暖かく、でも暑くも寒くもなく・・・
運河巡りで、最高にノホホンと気分が良く、
かさばらない事が取り柄ですねえ・・・
なんて言いながら、レース製品を買いあさり・・・




でも、そんな事が目的ではないのでした。
廃墟美という一種マニア系な美意識があります。
中世から近代にかけて発展した商業都市が、衰退し、あまつさえ、ローゼンバッハに「死都」とまで形容され、その生気を失った都市の廃墟美を愛でに来たのですが・・・当て外れ(笑)
ビスコンティの「ベニスに死す」のつもりが、ヘップバーンの「旅情」に化けたようなものです。





本屋のバイト店員風の惹句を言えば・・・


沈黙と憂愁にとざされ,教会の鐘の音が悲しみの霧となって降りそそぐ灰色の都ブリュージュ。
愛する妻をうしなって悲嘆に沈むユーグ・ヴィアーヌがそこで出会ったのは
亡き妻に瓜二つの女ジャーヌだった。
世紀末のほの暗い夢のうちに生きたベルギー人ローデンバックが、限りない哀惜をこめて描く黄昏の世界・・・


なんちゃって(笑) 


こんな風な誘惑を受ければ、改めて行きたくもなる。

2023年11月22日水曜日

アラン・スミシー

 



猿之助裁判の判決が確定....検察は控訴してもおかしくはなかったが、なんかの力学が働いたかも


懲役三年、執行猶予五年.....早々に(判決確定を待たず)、、、
マネージメント会社からは契約解除。但し今回の事件に伴う戦後処理だけは対処するそうだ。
松竹は、なんだか歯切れの悪い、、、、

現時点では、今後は白紙

これまでの貢献に鑑み、本人を是非支えて、、、

でも、世論の動向をも注視しながら


復帰は本人のつよい希望だし、なんせいまは役者陣が脆弱。猫の手どころか「猿の手」がないとどうしようもないのが梨園の惨状

かと言っても、五年間は顔出し(舞台にだす)わけにはいかない。せめては新作歌舞伎の舞台演出くらいなら、、、

でも、あんまり早いと社会の風当たりもあるから

上手く世論操作をやらないとなあ


なんとも明け透けに見えてきます。



ならば、ハリウッドの例にならい「仮面」をかぶらしたら如何ですか(^^)

赤狩りでハリウッドを追放されたダルトン・トランボは安い脚本料で傑作を書いたし、プロデューサーと揉めた監督が自分の名前がクレジットに出る事を拒否したりとか、結構偽名がクレジットされる事が過去は多かった。

この場合に監督名として使われたのが「アラン・スミシー」

しかし、クレジットでもめるなんて、ある意味で実力の証し。それなりの作品を次々にだすんだが、本人のプロフィールが皆目分からない、、、ってことから、そのうちにカラクリが化けてしまい、今は使われない。


周回遅れのショービジの世界が倭國。

歌舞伎は純粋な伝統芸能ながらショービジネスですから、これくらいの事はなんとでも


ところで、猿之助のマネージメントは誰がやるのかなあ?

なにそれのプロダクションと契約、、、なんてリリースできるようになるのはまだまだ先。

当面は松竹が面倒見るんだろうなあ。

なんせ「身を挺して歌舞伎界の闇を封印」してくれた大恩人なんだから(これ以上は言わない)





さて、アンナ・カレーニナの余りにも有名な書き出し


幸福な家庭はどこも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである


この文意を「アンナカレーニナの法則」というのだが、、、単純な対句の割に解釈や理解が難しい。この法則にはアタシはいささか懐疑的。

むしろ逆じゃないのって、JKT問題やらさまざまな不祥事(あとは、MとN)を見てて思うんだわ。

しあわせの形(成功の要因)って多様だと思うし、不祥事(失敗の本質)には共通の因子がある。













2023年11月21日火曜日

レモン、ピーチ それから

 





ピーチは甘いが、レモンは酸っぱい
転じてレモンは劣悪品、ピーチは良質品の比喩に使われるアメリカンのスラングらしい


原理と言うからにはある種の理論である。
劣悪品しか出回らなくなる市場のことを「レモン原理支配」の市場という。
従って逆ならばピーチ原理支配と言うはずだが、経済学の世界ではそう言う説はなさげである。
つまり、良質品だけの市場なんかこの世に存在しない....という理解になる。


個人的な感性で言えば、イソップ寓話にちなんで「グレープの原理」と命名すれば良かったとも思えますが、あたしならば、柿(パーシモン)原理と言いたい。見た目、甘いか渋いかわからないし、工夫次第で渋が甘に変わる(^^)

市場とは本来はそういうものだ....

パーシモン原理なマーケット...
問題の根源には情報の非対称性にあるとされる。
テキ屋よろしく悪貨を良貨と喧伝する輩が横行しているのだ。
売り手はレモンかピーチかを予め知っているが、
買い手は仲買人のセールストークを信じるしかない。

その意味で健全な市場形成の責務を担う商人の責任は大きいはずだが、伝統的に賤商と卑しまれてきた。
賤しい商人という意味ではなく「商人即ち賤」という
侮蔑である。
儒教的な商業機能への無理解に起因すると考えられてきたが、むしろ情報の非対称性を悪用してきた態度が忌避されたのだろう。

どの産業にも悪人はいるが、第三次産業の悪人ほど
タチの悪いものはない。
産業としての歴史が浅く未成熟云々は理由にならない。


芸能誌用語でいうところの青年実業家
つまるところ、服飾・飲食業かIT関連だが、一皮むけば似非ブランド品、風俗とかエロ又は出会い系サイトの運営。
事業をやるには元手がいるが、出所は大抵は闇。
その筋からの資金援助ならまだしも、特殊詐欺なんかで荒稼ぎをし、そこそこ稼げばその不法システム自体を売り飛ばし、正業に転じる...
利口と言えばその通りだが、何処モラルとしての大事なものを持ち合わせない輩が横行する世界....



久しぶりに穢土浮世で酒を酌み交わした旧知の「元地方公務員」は愚痴るのです。
しかし「法律は最低限の道徳」だけを行動指針にしてきた元商社マンに恨みがましく言われても困るわ。
締め付けすぎてマフィア化させたのは一体どこの誰なんだよ。

2023年11月20日月曜日

花腐し

 和歌や俳句の世界では「卯の花腐し」の七音で使われます。

単に「花腐し」の用例は、、、、

俳句では夏の季語

初夏の白い卯の花を腐りしおらす梅雨に先立つ長雨のことだそうです。

いわゆる、、、はしり梅雨との解説もありますが、五月雨がその後に続くとも(ネット解説だけだとようわからん)

ともあれ、万葉集に始まる由緒ある歌語なんだが、昨今は絶滅危惧種。

俳句はともかく、短歌の世界はついど見かけない。


王朝歌論書には



この万葉集の和歌が最古の用例だとかの記述があるとあるらしいが、素直に詠めば雨の風景でもない。昔の恋人の寓居は朽ち果てたなあ、、、なる感傷を「腐しと荒れ」で表現しているだけだ。





原作は赤門の先生の筆になる芥川賞作品らしいから、、、当然読んでませんが、だからこんな難解歌語を探し出してきたんだと得心。

監督はピンク映画へのオマージュという超意訳をやったと言われても原作知らないからよく分からないが、その世界の映画人からキャリアを形成してきたので、それは納得。


ものがたりは、リンク映像をみてください。

観てもよくわからないが、脚本の冴えと映画の台詞愛が満載。

映画が撮れない綾野剛がアパートに居座る脚本家崩れの柄本佑を追い出そうとするのだが、変にウマがあい、、、卯の花腐しの中で昔の恋人との交情を語り合う。

別に「オンナは中流に限る」なんてオチではないが、この二人をヒカルくんと頭中将だとすれば、おんなはあの「夕顔」だった。

原作同様に、この夕顔ははやくに死にました。


合掌....





どうでもいいシーンだと思うのだが、柄本が書いた脚本に綾野が筆を入れる。


オンナとオトコの諍い。

思わず、オトコが手をあげそうな局面、、、、


顔、ぶたないで 私 女優なんだから


夏樹静子の「Wの悲劇」を映画化した際、この監督が脚本を今回同様に超意訳していますが、コレが原作よりも素晴らしい。

主演の薬師寺ひろ子の台詞です。


わかる人だけがわかるが、わかる人は数少ないと思うオチでした(^^)