人生劇場の作者は母校の先輩だが、売文右翼としか思っていないし、文化功労者も本当に玉石混淆。
シェイクスピアの「お気に召すまま」の坪内訳を読んで触発されたって根拠はないが、無関係というエビデンスも知らない。
波乱万丈な人生を「劇場」に例え、ヒトザルは役者だって実にわかりやすい....が、大先輩には失礼だが、結構誤訳の多い逍遙先生。
誤訳とまでは言葉が過ぎますが...明治の頃だと「舞台」より「劇場」の方が斬新な語感だったから、気の利いた意訳だったかも。
しかし、最近の翻訳は「舞台」と原語に忠実。
All the world's a stage,
And all the men and women merely players.
劇場だと後段の部分は「観客だって人生を演じているんだ!」というニュアンスですが、舞台と言われれば....シェイクスピアのこころは「皆さんは観客ではなくて、役者そのものなんだ!」という感じが強くでます。
今風の解釈ならば、逍遥先生はやっぱり「誤訳」というべきかなあ?
今年はイタリアンの映像の魔術師、フェリーニの生誕百年。回顧上映にいそいそと...でも円熟期の最高峰の「サテリコン」はこない。
諦めて、これで我慢しよう。
曰く....映画はまつりだ!共に生きよう
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