2020年10月6日火曜日

月光露針路日本

 


シベリア出兵史録を斜め読みしながら日露外交史を拾い読みした微かな記憶を横に三谷歌舞伎とやらのライブビューイング。

反叙述的に時間軸を逆順すれば、公式な外交関係論としての今時点は

56年、日ソ共同宣言で国交回復、但し領土問題未解決により平和条約未締結。つまり戦争状態の最終的終結の前提である領土確定等の講和条件未定であり、正式には休戦中だと言うことが半世紀継続しているわけです。

45年、日ソ中立条約(41年締結で有効期間が5年)の廃棄通告。つまり延長しないという通知であり、五年満了までは契約は有効ですから、あれは一方的な不法侵略行為。その予兆をわかって居ながらの不作為の関東軍中枢部は靖国に祀られる資格なんかありはしない。

39年、ノモンハン事件勃発。一方的に惨敗したというのは左翼的情報操作であり、双方痛み分け...が正しい軍事評価と言われる。したがって書店の棚の関連史録的書物はおよそ無内容。ソ連崩壊後に日の目を見た情報の反映度をあとがきで確認してから読む方がいい。

25年、日ソ基本条約により、共産ソ連と国交樹立し、やっと18年以来のシベリア出兵のケジメがつく。そもそも戦略目的のはっきりしない国費の浪費だった。火事場泥棒はあまり感心しないが、費用対効果からすればこんなうまい話はない。しかしシベリアに兵を配備しても....ドイツ植民地はうまくせしめたのに、なんとも愚かなこと。

07年、日露協約のはじまり。日露戦争後はかつてないくらいの日露蜜月時代。しかしコミュニストたちの革命が全てをぶち壊す...元はといえば、日露戦争時の明石参謀の後方撹乱策の効果でもあるから....同じ事はイスラムとの戦いでアメリカンがほぞを噛むはなしと同じ。

04年.日露戦争。何もせずに傍観していると竹島のように実効支配権まで簒奪されるのが国際政治ですから、国防圏自衛戦争だと言うこと。結果は負けはしなかったが、勝ったわけでない。しかし負けない事が戦略目標でしたから、政治外交的には勝ったのです。


話は一挙に鎖国体制へ

プチャーチンの頃に和親条約締結により国交樹立。1855年のこと。それ以前はレザノフの暴力外交、ラックスマンの来訪....手土産は10年あまりシベリアを流浪した伊勢の船乗り大黒屋光太夫の帰還であった。

時に1792年。

名題は、つきあかりめざすふるさと

と読ませます。歌舞伎役者を並べて歌舞伎の所作を散りばめれば新作歌舞伎になるわけではない。言ってみれば、豪華な新派か新国劇.....

客受け狙いの配役は豪勢です。

白鴎

幸四郎

猿之助

染五郎

愛之助

歌舞伎座まで足運ぶ程じゃないが、ライブビューイングなら楽しく観れます。




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