没落した船場の蒔岡家...と言っても、ビルゲイツ的に言えば、持株評価が半分になったくらいだろうか...
阪神間に居を構え、観桜の季節ともなれば、一家総出で柊屋さんみたいなところに泊まり込み、京洛の桜の名所を訪ね歩く上流階級。
長女と次女は所帯持ちだが、三女の雪子は婚活女子。が、本気で結婚する気があるのかどうか...問題は四女の妙子。
よく言えば奔放、ハッキリ言うと男出入りが激しくて、とうとう貴金属商の奥原のボンボンと駆け落ち、同棲した先が、今の西宮市常盤町あたり、松の古木一本がありそのふもとに地蔵尊があった...と谷崎の細雪に書いてます。
細雪のおかげで有名になった一本松。
碁盤目状に区画された住宅地ですが、この松だけは区画を無視してちゃんと保存されています。
しかし、今日のお題は、松ではなくてこの石碑
史跡往古武庫川菟原郡界伝承碑....と読むのでしょうか?
菟原郡は、西宮市の西側から芦屋市、神戸市の東側迄を含む一帯で、武庫郡に統合されたのは明治の中期
それが西宮市と市政施行されたのが大正末期のことですから、細雪の時代はすでに西宮市でした。
しかし、なんとも長閑な時代です。明治の頃の行政の境界線が「伝承」だとは...本当にこの辺りが境界線かどうかは疑わしい。普通は、山川なんかを境にしますから、すぐ西の夙川を境界にすると思うのですが.....
と素材な疑問を投げかけるに、しれっと
当時の夙川はこの辺りを流れていた....まるで怒鳴る度なみの虚言です。
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