2020年10月4日日曜日

伝阿保親王塚

 

旧西国街道(いまならば京都起点の国道二号線)は今の道路感覚から外れたルートを通ります。西宮中央体育館あたりを西宮警察署をすぎるまで南下し西へ、概ね43号線に沿うのですが、大谷美術館から北上し、阪神電車の北側。
打出駅北側の角にある石碑。
当時は西国街道沿いにあったということです。

阿保親王は平城天皇の第一皇子。
薬子の乱(オヤジと叔父の権力闘争)なかりせばその次の皇位だって....
結果皇族としての血脈は途断し、子息の業平、行平は臣籍降下。

しかし、いかなる配剤か、四世紀あたりの古墳が廟所に比定され、未だに香華が絶えないのは、業平の詩才もあってか、慶賀の至り。

御陵なんて古代は無論のこと、かなりあとまで被葬者はええ加減。先祖供養の場所でありサイエンスが立ち入るものではないと、頑迷固陋な宮内庁。
それはそうだろうが、古代史研究家の働き方改革は調査発掘を認めた途端に革命的に...アカデミックな水準も含めて進歩することは確実なんだが

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