打出駅北側の角にある石碑。
当時は西国街道沿いにあったということです。
阿保親王は平城天皇の第一皇子。
薬子の乱(オヤジと叔父の権力闘争)なかりせばその次の皇位だって....
結果皇族としての血脈は途断し、子息の業平、行平は臣籍降下。
しかし、いかなる配剤か、四世紀あたりの古墳が廟所に比定され、未だに香華が絶えないのは、業平の詩才もあってか、慶賀の至り。
御陵なんて古代は無論のこと、かなりあとまで被葬者はええ加減。先祖供養の場所でありサイエンスが立ち入るものではないと、頑迷固陋な宮内庁。
それはそうだろうが、古代史研究家の働き方改革は調査発掘を認めた途端に革命的に...アカデミックな水準も含めて進歩することは確実なんだが
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