大貫美恵子氏の労作を鉛筆片手に読みはじめた
ねじ曲げられた桜(美意識と軍国主義)....岩波書房
文庫版で700ページあまりな大部な学術書。
プチびっくりなのはこれでもか!と言わんばかりの引用文献の山で200ページは脚注(つまり総頁の三割内外!)
脚注が多いから立派ではなく、参考文献の明示のない学術書はファンタジーあるいはエンターテイメントにすぎないと判断すればまず間違いないと考えるアタシはやはり正しい
大貫氏はアメリカンの大学教授であり象徴人類学者。
一体どんな学問領域なんだ?
なんだかよくわかりませんが、毎度の極私的な書評ながら少しばかり「正座」をして書きます(多分かなりな連載になりそうな)
まず「プロパトリアモリ」なるラテン語の言葉。
浅学菲才ですからはじめて知りましたが、モリはメメントモリ(死を忘れるな)、パトリアはパトリオットの古形だから「国のために死す」ということみたいって程度の土地勘は働く。
ホラティウスの抒情詩の一節で、ローマ市民に対して国の為に死ぬ事は甘美な義務だと詠い諭しているとウィキ(英語版)には書いています。
しのごの言わずに国家の為に命を投げ出して貰うように仕向けるのは古今東西共通した事であり、この詩もかようなプロパガンダの一環だったのだろうか?
倭国では桜がプロパガンダ的に利用されたという事に対する多面的な考察が本著の主題である。
桜は中国を原産地とすると思われるが(ウィキの桜には原産地の言及がない)稲もまた中国原産である。桜と稲はある種のセットもの。
天皇家はまぎれもなく農耕祭祀王であるが、天皇家の祖ともいうべき瓊瓊杵命(天照大神の孫で神武の祖父)の妻は木花佐久夜毘売(見るからに桜のイメージであり「桜川」なる能にもでてきます)
記紀を読む限り同族婚には見えないが全くの異族婚姻譚でなさげなのはお互いの原産地が示唆する。
春先の農事の始まりと桜の開花は時期的に無関係ではない
シンボル(象徴)としての桜は多義である。
先ずは春の祭典すなわち生まれ萌えいずるイメージ
プリマベーラ自体に桜が登場する訳ではないが、これを無視するわけにはいかない。
と同時にはなやかに咲くから散る美学も生じる。
散華とは美しい言葉だが、もののあはれとか無常という死の心情を突き抜けた狂気の醸成でもある。
主上に近い存在であり、生と死、再生の祝祭空間を演出しうる身近な存在として桜以上に「プロパトリアモリ」を意識下に植え付けられるものはなかった....
と大貫氏は論じていますが、、、、やっと全体の四分の一のサマリーが終わりました。