編者の斎藤何某は江戸町方の名士だったようです。
ウィキの概説は当たり障りなく肝心のことを書いていない。歴史的に重要視な事実はほとんどパス
何処そこで大火があった
ナンチャラ寺でかんたら仏のご開帳、、、みないな山川歴史年表に掲載されないどうでもいいような三面記事ネタ満載。
これがまたひろい読むに、、実に面白い。
ちくま学術文庫版で三冊。加えて江戸名所図会全五巻が有れば江戸を舞台にした風俗小説が書けます。
たまたま時節にあった三面記事ネタがありましたからご紹介
19世紀はじめの文化年間
深川富岡八幡宮の祭礼が久方ぶりに開催され、善男善女貴賎都鄙、我も我もと押しかけ、、、余りな事に永代橋崩落。犠牲者千数百余名の史上最大規模の惨事となった(ここ迄は別のところでも書きましたから、別の話題を)
惨事の陰には英雄が必ず登場し、犠牲者を救ったり、被害を食い止めたりするのですが、それもありきたりだからバス
実はこの永代橋は公共施設ではなく町方が維持管理する民間施設だった。
吉宗の時代、公共投資の財源に苦しんだ幕府は苦し紛れに民活の美名の元に永代橋を民間に払い下げてしまった。町方も重要な交通インフラですから、通行料徴収やら色々と財源確保を工夫して管理していましたが、なんせ架橋から百年を越えて、、、寿命だったんですかなあ。
惨事の後、安易なPPP(民間活力推進)を反省した幕府は再架橋に踏み切ったのです。
今の永代橋は四代目の筈です。
明治の初めに鉄橋に架け替えられ、大正の軍縮の時代、八八艦隊の為に備蓄された鋼材の民間活用で今の永代橋が、太平洋戦争の惨禍をくぐり抜け今に至る。
しかし、1973年の第二次関東大震災で完全瓦解。二度と再建される事はなかった、、、映画版日本沈没(小松左京)ではそうなっています。
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