今年もはや十一月。
陰暦だと十月からは冬。十一月に入り未だ半袖若者が散見される、、、無論ダウンのオッサンもいます😝
倭風月名では一般的には「霜月」
明らかに冬イメージであるが、さまざまな副題のひとつが「神帰月」、、、季語にもあるらしいがもはや絶滅危惧種。
思うに十月が「神無月」
八百万の神々が出雲サミットに参加して誰もいなくなる故、、、だから月がかわれば神々は「帰って」来るとかなんとか
実に分かり易い、、、が、陳腐抱腹絶倒の俗説😝
先ず「神無月」の解釈を間違えている。
大野晋文法だと「無・む」は連体助詞であり、体言がその次の体言を修飾する際に使われる「の」の母音変化が国文法的常識。つまり単に「神の月」だと言っているに過ぎないのです。
梅雨期の六月が「水無月」っておかしいじゃないですか?って、、、、鉄緑会にいけそうな中学生が食ってかかっても、これも「水の月」なる至極当たり前のことだが、多くの組員教師は答えられるわけがない(^^)
アタシもマトモに学校で教わって記憶がない。
十一月は素直に霜月だと思っていればいいし、神帰月なんて言葉は絶滅を「危惧」するまでのこともないのです。
しかし、、、今日も暖かい。
冬は冬らしく寒さがある方がいい。
これも悪くはないが、、、冬の景色二首
散り散らず木の葉
夢とふ槙の屋に 時雨を語る軒の玉水(長嘯子)
むらむらに小松まじれる
冬枯れの野辺すさまじき 夕暮れの雨(風雅集 冬部永福門院)
ゆうだちは夏
むらさめは冬手前の秋
しぐれは秋過ぎの冬、、、、くらいの違いかしら?
永福門院は伏見天皇の奥様。歴代皇后のうち最高の歌人、?だからって貴種に阿るつもりはないが、秀句表現だらけの長嘯子作品も素晴らしいが、院のいいようのない寂寥感には遥かに及ばない。
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