新年早々、年賀の挨拶もなく辛気臭い話しにお付き合い下さい。
倭國の近代化の大きなマイルストーンが第一回衆議院選挙(1890年)
高校日本史では「差別的な制限選挙」であった!と切って捨てるのが組員教師。
でもそんなに馬鹿にしたものではないと思うが、、、
定数300でほぼ完全な小選挙区(都市部に僅かに二人区がある)制度。比例区での復活当選なんて愚かな事はしない民意の一発勝負!
但し「一票の格差」は凄まじい(と思われるが、詳細迄は不明)
府県単位の有権者数と議席の比較をすれば
滋賀 15456人( 5議席)
東京 5715人(10議席)
有権者数の最大と最小の対比だが、、、今なら「違憲状態」どころでは済まない。
区割と定数配分をどう決めたのか判らないが、案外「人口比」だったのならばそれは見識。
なお有権者総数は46万人(人口比では1%強だが、投票率は94%)
主権者意識の希薄な有権者の数ばかり増やしても馬鹿馬鹿しいだけって思えてくる。
基本的に投票率は主権者の問題です。ロクな候補者や政党がいないって要素もあるが、それは有権者の文句や言い訳に過ぎない。
なお、候補者総数は定数の四倍くらいかな?
最近は延1600人くらいだが重複が約600いますから、よく言えば少数激戦なんだが、、、
無制限選挙の方が選択肢が少ないって、、、おかしいだろう(^^)
制限選挙だろうが、政治に賭ける人材は今より多かったのです。
選挙権と被選挙権の要件は年齢条項が多少異なるが、
男性
日本国籍保有者
直接国税15円以上の納税者、、、までは同じ
ネット記事の多くの誤解は「国税」の理解にある。
先ずこの時代の直接国税とは地租(所得税も含まれるがまだ徴税額は微々たるもの)のこと。
そして地租の税率は「地価の(当初は)3%」であり地価は江戸期の年貢が確保できる規模になるように収益還元的に作文的に作られたというのが定説であり、また市街地も無税地一掃の観点から、決め方はよく判らないが地価が設定された。
結構重い負担であったことは激しい地租改正運動を見れば容易に想像できます。
ともあれストックのある者が政治に参加できる仕組であり、フローで生計を立てる国民はあまり想定されていなかった。
明治中期の貨幣価値水準がよく判らない。比定のやり方次第では一円が一万円からその十倍以上にもなり、殆ど意味をなさない。
別の観点では「上位1%」の倭人って、、?
いまの給与所得だけならば、年収1500万円位でその範疇に仲間入りできます。
が、申告納税者だけならばかなり景色が変わります。
ならば「富裕層....純金融資産一億円以上」で見てみると、、、世帯比率で2.5%もいますなあ(五億超の超富裕は0.6%)
つまり単に「超」までは必要ないが、富裕層って言われるだけじゃ政治参加は出来ないからもう少し汗をかいて稼ぎ貯めないとダメって事です。
ウィキには第一回衆議院選挙の当選者一覧が掲載されていますが、実に面白いというか摩訶不思議。
知名度がそこそこあるんだが直接国税をそんなに納めているとは思えない御仁が散見される。
幕末騒乱期から政治で東奔西走し、正業にもつかず蓄財に励む時間なんかなかったはずなのですがねえ
なんかカラクリがあるんです。
どうも資産家がスポンサーになって被選挙権要件を満たすような細工(名目的な財産分与とか)が認められていたらしい。
要するに「出たい人より出したい人」を後押しするって素晴らしいシステムではないか。
何をもって進歩というのか議論があるが、それでも今の選挙制度の方が格段に進んでいるのかしら、、、って思えてくるでしょう。
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