2021年6月30日水曜日

階段は最良の健康器具

 


階段昇降ではなくステップ台の登り降りをやりましょう!
ネット記事の大合唱で、逆の提案はない。

その理由は様々非科学的でいちいち論駁する気にもならないし、健康器具のセールストークに騙されるほど愚かではない。



そもそも運動をする...カラダを鍛えるのは何のために?
プロアスリートはさておき、一般には?

ダイエット....この時点ですでにイエローカード。

ヒトザルはプチぽっちゃりが一番長生きします。

解は単純です......灰色の脳細胞をより長く活性化させるためにカラダを動かすのよ。

カラダを鍛える事が自己目的化した運動よりはアタマを使いげな動きの方が遥かに好ましい。




禅門の入門書には必ず引用されるあるエピソード

禅門修行の為に留学した倭僧

悟りを開いたと言われる高僧の日常を見るにビックリして問うに....


炊事洗濯掃除という新弟子がやるような日常の作務こそがアタマとカラダを機能的に使う事による修行の基本であると


だっから、殊更に運動と言わずに日常の家事を昭和のスタイルでやるのが一番なのよ...って過日の惰日記。

テレビの前にステップ台を置いて昇降運動をするのと、街にでて知らない通りを徘徊し、歩道橋を登り降りをし、新しい発見を同時にするのと何方がいい?



しかし、階段昇降って結構危険ではある。

登りでは蹴つまずき....歳とると意図的に腿上げをしないとねえ。

下りでは足踏み外し....かっこつけずに手すりを持ち注意深く。

ことごと左様に神経を研ぎ澄ませてカラダを動かす事がいいのよ。


毎日十分間の昇降運動を勧めるセールストークが太宗を占めます。

アタシの階段登り実績値は毎日の平均が240段。

まあそんなものかな


マシな候補者の選び方

 



さあ...待ちに待った主権者が主権者らしく崇めて貰える数少ない時が近々到来します。

間違った選択、パブリックセンシティブに左右されずに正しい判断のためには....



そもそも「選良」と言われる方々はリベラルアーツを身につけているのか?
西洋の古典的な意味合いでの「自由な(奴隷階級でないという意味)人間としての基礎教養」である七科目は当然ながら現代風にアレンジされなければならないが、その寄って立つものは同じである。

三学(トリウィウム)
・文法学
・論理学
・修辞学
四科(クワドリウィウム)
・幾何学
・算術
・天文学
・音楽

七科目とは、煎じ詰めれば「言語と数学」

実はアタシの得意種目❣️
さらに言えば、この基礎科目の上に「哲学」があり、最高位が「神学」
つまりは「哲学を学ぶための基礎的なストレッチ」にすぎない。
であれば「哲学」とはなんじゃいな・・・??


哲学とは学説ではなく活動である。
哲学とは理性による思考の明晰化である。
哲学という活動の本質は解明することにある・・って殆ど理解できないままヴィントゲンシュタインを引用します。




グローバル社会においては理屈も情緒も多岐多様なヒトザルがツノ突き合わせ、対等に付き合うには理性しかない。
論理的に客観的に説得し理解させる社会であり、ムラ社会の対極に位置する。
目配せや阿吽の呼吸なんかに依存する余地はない。
そういう世界で自存自立できる存在であることを自他共に認められることが所謂「選良」の必要条件であるとキッパリ!
さて「トリウィウム」において重要視されたのがラテン語(当時の知識人の世界語)
今であれば「英語」でしょう。
単に単語並べて喋れますだけでは「パングリッシュ」と変わりがない文法以前の世界
論理的で理性的に(これを学ぶのが論理学)
加えて・・・美しく説得性をもって(これが修辞学)という・・・
言ってみれば「高度に知的なコミュニケーション力」を兼ね備えたってことになります。
巧妙なレトリックを駆使するためには「歴史や古典を咀嚼し巧みに引用する知識」が基盤となる。
ここまでは、現代でも通用する「学の大系」の真髄
徳川慶喜公が、帝国大学で民法や刑法を学ぶご子息に対してヒトの上に立つものが学ぶべきことではない!って言い放ったのはけだしそういうことなのである。


ここではたと困るのが「クワドリウィウム」
リベラルアーツがリーダーに必要な資質だと考えた場合、数学(天文学も運動論という意味での数学の一部)と音楽だけがどうして必要なのか?
多分「音楽」って、今のミュージックとは別の概念かも知れません。
よくわからないのでパスしますが、美しい楽譜はそれ自体数学的な美しさがあるとはよく聞くはなし

数学も、理屈しか扱わない形式科学分野ですから、理科系頭脳の限られた分野であり、所謂自然科学の世界とは本質的に一線を画す。
自然社会は神の摂理で動く(・・と中世人は考えた)が、形式科学の世界は限りなくデジタルに近い論理だけが支配する世界・・・
神が支配する世界を学ぶことは、哲学をも極めた以降のことなので、リベラルアーツでは数学のみを学の対象としたのでしょうか・・・?
これ以上は判らない(と、、アタシは正直に改めて勉強しなくては)



ここでカエサルだけが持ち得たとされる資質を考えると・・・

知力
説得力   
肉体的耐久力
持続する意志
自己制御

数学よりもまずは「体育」でしょうってことになるのですが、トリウィウムと体育だけで、これらの要件は満足できます。
さらに言えば・・・

人前に立つ以上「立ち居振る舞い(マナー)」も大事ですし、なによりも「羊たちの名前」を覚えてあげないと・・・


翻って、我らが選良たちをながむるに・・・

一票を投じてくれる有権者のお名前はよく存じておられますなあ。
そして体力バカでも有ります(・・でないと過酷な選挙戦は戦えない)
さて・・・問題のトリウィウム??
議員資格試験には、まあ反対がすくないであろう「TOEIC800点以上」・・(笑)
これで、
神輿ギャル
キャバ嬢崩れ
似非女優
退役アスリート   ・・・等々お馬鹿に近似値かも知れない幾ばくかは赤絨毯から追放できるが、この程度では、有意な人材を永田町に送り込むにはいたらない。

主権者は己れに似た代理人を選ぶらしいから...本当のところは「主権者にこそリベラルアーツが必要」なんです....がけさの結論






2021年6月29日火曜日

カルト映像作家...デヴィッドリンチ

 古希を過ぎても「鬼才」と言われれば気恥ずかしいだろう。

しかし、名匠とか巨匠は似合わない。
カルト映像作家くらいが妥当な形容詞!

デヴィッド・リンチ

カルト映像作家ですから知る人は知るが知らない人は無論知らない。
いわゆる「海外ドラマ」を手がけて90年代を風靡したもんで知名度は上がった。




難解とは言わないが、不安な複雑さでよう分からん...なんだろう?
不条理ミステリーだし、乱倫不倫劇満載、社会病理も人種差別以外は...たっぷり有りますし、超常現象まで。まるで五目ご飯
予定調和的に全ての種明かしを最終回で...なんてサービス精神を欠如したところに鬼才の真髄がある。




舞台はモンタナかワシントン。カナダ国境あたり

ローラパーマー(人気者のJK)の殺人事件を軸に

色んな関係者が登場し、それぞれに忌わしい秘密を抱えてその秘密が交錯する。

油断をすれば関係がわからなくなるし、名前と顔が一致しない。


サブスクでコッテリみるタイプの作品

以前に投げ出したのはそういこと。

シーズン1が終わったが、シーズン2では、状況は益々複雑になる。



心療内科医の心配

 禁酒令や外出自粛令には一旦の合理性があるが、反作用だって無いはずはない。個人消費の縮減が経済に与える影響はさておき....不安心理にかき立てられて接種会場に殺到するのはいいが、長期的に身体に及ぼすかもしれない影響は不可知だ。

若者の反ワクチン志向...多くは真偽不確かながせネット情報に軽挙妄動しているだけだが、案外余命の長さからくる不安の本能的な反映かも知れない。これが理性的な合理判断なら未来は安泰だと言えなくはないが、とてもそうは思えないのは困った事。


さらに筋肉運動は心身を活性化させると言われる。逆に言えば「自粛という引き篭もり」はストレスと運動不足で脳機能を劣化させ命を縮める。

隔離施設から逃亡する....批難に値する行動には違いないが、より良く生きることへの本能の反乱だと言えなくはない。

隔離施設にだって、筋肉運動が出来る場の併設は不可欠だと言うこと。例えは良くないが、刑務所にすら運動場はあります。





筋肉運動というと、マシンが完備されたジムを想起するが、アスリートを目指したり一定の目的のあるトレーニングならいざ知らず、心身を活性化させる程度ならば、普通の家事労働を昭和のようにセコセコこなすだけで充分.....しかしキモは「昭和のように」にある。

実はアタマとカラダの全てを有機的に動かしていた最高のアクティビティが昭和の家事労働❣️


AI搭載の白物家電が全てを片付けてくれる....なんかカラダ鈍るし、する事ないからジムでも通うかなあ(^^)


なんとも奇妙な誤謬の風景


意味合いは多少違いが、トップバレリーナの森下洋子さん曰く、、、

一日カラダを動かさないと(練習しないと)自分で衰えを感じる

それが二日ならば、相方のバレニーノに分かる

三日ともなれば、観客ですら感じ取る。





不要不急の外出は控えましょう


身体活性化本能の元では不要不急の外出なんかありはしない。

家事や家の中の整理整頓だけじゃ得られない活性感を本能が要求する事もあるだろう。

それには不要不急...非日常的な外出が一番。

毎度のスーパーへの買い出しなんかよりも少し遠い新しいスーパーがいい。

刺激的な街中の徘徊も脳髄を揺さぶる。

ジムに通うなとは言わない。

アタシもかなりの期間マンツーマントレーニングをお願いした事もあるが、ある程度メソッドが理解したのでおしまいにした。




元都知事の某氏は教壇に立った経験に照らし、医学生の中で優秀なのは感染学を目指さない...とかなんとか嘯いたらしいが発言の適否は知らない.....

少なくとも「手術は成功したが患者は死んだ」みたいな外科医のジョークでは困る。



2021年6月28日月曜日

遺伝学用語の奇々怪々

 





多少旧聞なんだが、あるネット記事の引用。

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メンデルの遺伝学の訳語として使われてきた「優性」「劣性」は、遺伝子の特徴の現れやすさを示すにすぎないが、優れている、劣っているという語感があり、
誤解されやすい。「劣性遺伝病」と診断された人はマイナスイメージを抱き、不安になりがちだ。
日本人類遺伝学会とも協議して見直しを進め、「優性」は「顕性」「劣性」は「潜性」と言い換える。

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ここまでは納得よりも、積年のモヤモヤが晴れた気分だ。
本来なら「優」という漢字に、発生確率の高さの意味はない(諸橋大漢和辞典で確認した)
想像するに、英語で dominant と書いてあるからそのまま直訳したのだろう。
支配的、優越的と和訳されますが、この意味合いは「多数派」の気分が色濃い。
失礼ながら、最初に訳された先生はバイリンガルでもバイカルチャーでも無かった。
明治のころの外来語の和訳の巧みさは一世紀を超えても燦然と輝くが、どうも遺伝学者は・・・


ということで問題はここからで、ほかにも

突然変異は「変異」
変異は「多様性」
色覚異常は「色覚多様性」





実に面白い(^^)
突然変異は「多様性あるいは突然多様性」とはいわないのだ!
そもそも原語が違うということらしい。
いままでの変異は variation の訳らしいが、多様性なんて訳を当てますかねえ?
普通は、変化とか変奏ですよ。
ゴルトベルク「多様性」曲なんて言われると、バッハ先生が化けて出てくる。


objection と言いたいのが最後の言い換え
現在は色盲・色弱とは言わないようだが、色覚の異常性の程度を示すものでそれなりの意味はあるはず。
聞きかじりをひけらかせば・・・
色盲と色弱の違いは、医学的に網膜にある三種類の色細胞のうち1種類がない場合が「色盲」
一般の方より少ない場合が「色弱」
赤と緑等の色の見え方の「程度の差」を表す。

程度問題は様々ですが一定の職業においては適格基準として定めている場合もあるが、それらの中には「色覚異常の無理解」に起因するものもあるかも知れない
さて「色覚異常」は障碍かどうかということですが、どうも「多様性」と言い換える以上、障碍ではないといいたげであるが、それは妥当なのかね?

障害とは思わないが、障碍だと、、、
カラーバリエーションによっては識別に齟齬が生じる場合があることは事実だし、それに対してもガイドラインが定められていたはず
色盲でも世界が白黒映画のようにしか見えないということではないが、紛らわしい色使いに一定の配慮することは当然だし特段それは障碍者差別とは無縁の世界のはずた。

どうも悪しき言葉狩りとか思えないし、言葉狩りが新たな差別を生みかねないって危惧のほうが大きい。
ちなみに「異常」という言葉はあちこち調べても差別語のライブラリーにはなかった。
もっとも、調べていると・・・

奇形は差別的だから「形態異常」と言い換えようってありましてね・・・こっちのほうがよっぽどって思うが・・


2021年6月27日日曜日

素材としての能楽

 







倭国の映画人は学歴は立派な方々が多いが、能狂言をはじめとする古典芸に無知なのか無関心なのか...
学力がないと揶揄してもいいが、古典芸が日常空間からかけ離れた存在に成り下がってしまったいう見方が正鵠を得ている。
その中で能狂言のモチーフを比較的使ったのが

黒澤明
新藤兼人

いっちゃなんですが、帝大はおろか旧制高等学校にも
縁遠い二人だけが、映画の素材として興味を示した理由は知りません。
幼い頃からその世界にどっぷり浸かった訳でないことは確かだが、彼らの時代は、まだ古典が身近にあったからかも。

思うに、映画の素材として古典芸能を扱いたければ、
はるかにわかりやすく通俗的な歌舞伎や文楽に取り組めばいい。
これらの演目には能狂言の派生品が数多ある。
別に能狂言を使えば傑作が出来るわけでもない。

心中天の網島
人情紙風船

とか素晴らしい作品はたくさんある。
しかし、限定的。


普通の映画でも、ちょっとしたエピソードに
能狂言のさわりが使われたりしますが、残念ながら
見る方がそのシャレがわからないから最近は全く流行らない。

伊東甲子太郎が油小路で新撰組に暗殺される際に
竹生島の小謡を口ずさんでいたとか

大石内蔵助が、討ち入り前の同士との会合の際に
勝ち修羅を舞ったらしいとか...


一般大衆的には、落語の高砂....
浦ぶねならぬ助け船あたりでしかないのが、
絶滅危惧種な世界遺産の有様。



黒澤の虎の尾を踏むなんとかは、明らかに安宅イメージだし、蜘蛛巣城は、オリジナルはマクベスですが、能舞台を見るような様式美
新藤の鉄輪はズバリ丑三つ参りものの翻案だし、藪の中の黒猫は....頼光ものの派生作だが能楽にはないが、、、おん年25歳の太地喜和子さんの体型が一番淫靡だった作品だからご紹介(^^)

因みに鉄輪にはあのフラワーメグが主演。

記憶に残っているのは....衣類を纏ったシーンがなかったことだけ。





2021年6月26日土曜日

宿直の夜

 



古典の世界では「とのい」と言うが「しゅくちょく」と同じ事。
徹夜仕事はしばしばだったが、斯様な勤務制度のある職業についたことがないので長い夜をどう過ごすのかよく知りません。




聞くに、渋谷に近いオリエンタル病院の勤務医であった元大学講師の外科医直江庸介は、当直のたびに道玄坂の寿司屋とかBARに入り浸りったらしい・・・
暇な夜勤とは思わないが急患が来ればのんびり酒を飲んでいるわけにはいかない。

しかし宮中の宿直なんか暇を持て余し、たわいない夜噺三昧に違いない。


HIKARU源氏くん17歳の夏のしとしと雨の夜。
退屈な宿直に付き合う年上の親友の頭の中将とか中年の取り巻きの下級貴族が品下がる話に興じている。
過去付き合ったオンナの品評会って、上品とは決して言わない。
HIKARUは、聞くともなく耳を傾けているが・・・

早い話「中流のオンナが一番」って結論のようです。
パーフェクトな女性はめったにいるものではないが、中流階級(この世界では中流貴族です)の女性に、
個性的ですぐれた者が少なくないというのが経験則らしい
廃屋のような寓居で可憐な女性に出会ったりすると不思議に心引かれる・・・ってこれはそうだ。
浦の苫屋に千金の名馬をつなぐって喩えもある。

さらに生涯の伴侶を選ぶ基準は、

貞淑であること
嫉妬をしないこと

なんとも身勝手なものである(笑)
しかし、美しい心映えは、容姿や階級を凌駕するというのは普遍の真理ではある。

HIKARUの女性遍歴(その後の物語展開)は、まさしくこの「雨の夜の女性品評」に
インスパイヤーされて展開されるわけで、前半部のコアな箇所である。
しかし、ある意味で皮相な女性論であり、ストーリー上の重要性を除けばつまらない箇所としかいいようがない。


なんといっても「オンナは顔よりも頭のいいのが一番です」・・・ってのが持論ですのでその意味で式部女性論には組みするものではない。
LADYムラサキって、彼女も不遇な中流貴族でしたから、感情移入が激しいのですよ。
多分ですが、内館牧子さんも見解は別にするが組みしない側に立っているはずだ。





可愛いだけのオンナはすぐに飽きる
優しくて細やかなオンナは、段々に鬱陶しい
教養と知性に富んだ女は、やがて肩が凝ってくる
すがりつく頼りなさなオンナは・・・足が遠のく  


って、こっちのほうが格段に含蓄深い(笑)
誠に失礼ながら、アタシと内館さんの見解を合算してシェイクすれば・・・ 


可愛いオンナは、馬鹿でもなれるが
能力のあるオンナは、怖いオンナでないとなれない  

 ・・・ってことかな 





2021年6月25日金曜日

軍歌あるいは戦時歌謡、そして「自衛隊に入ろう」

 60年代の始め...なんて昭和のオジサンの世界ですが、高田渡氏の手になるフォークソング

歌詞の一部ですが....


さまざまな異説風聞がありますが、当時の国軍幹部は狂喜乱舞し隊員勧誘の道具に使い一定の効果があったとも、軍を揶揄誹謗するものとして放禁になったとも、左翼(あるいは右翼かな?)のテロ予告があり、封印したとも....

興味の向きはYouTubeにあるはずですから、、、


素直に唄えば辛辣な反体制歌謡であり、二条河原落首やら狂歌、音二郎の自由民権ソングに至る「広義な文芸での反乱」の系譜に位置付けられます。

露骨に反戦平和とやらを咆哮するのは日共系うたごえ運動ソングと同じで芸が無い。

なんちゃって「反語的あてこすり」が一番です。

しかしながら、昨今はこれだけ表現と発表の自由が謳歌できるにも関わらず、これは!ってものが何も無い......あまりに自由すぎると逆にやってもスリルがないのかもしれませんし、文藝自体の衰微のあらわれかも



軍歌あるいは戦時歌謡の正確な定義は知らないが、好戦的内容で戦意高揚を目的とします。

多くは、単純なメロディライン、軽快なリズム、適度な音域、古来からの定型の七音または五音の歌詞

はやい話がオンチでも歌えるのが取り柄。

がしかし....結構裏に厭戦・反戦気分を隠し持つ傑作が有るのです。


雪の進軍


日清戦争の頃に軍楽隊員により作られた古典的な軍歌の傑作。



七音のリズミカルな繰返しの定型様式ながら、いち早く言文一致体のスタイルが斬新です。

しかし、当時の戦争では戦闘で死亡するよりも、栄養失調や飢餓、病気での損耗の方が遥かに激しかったと言われ、脆弱な兵站体制が垣間見えます。

その辺りをそれとなく、、あるいは露骨に歌い上げています。


馬は斃れる捨てては....断定は出来ませんが、装備なんかを輸送するお馬さんが斃れると大変!なんせヒトザルよりも馬が大事なのが軍隊。


頼みすくなや煙草が二本....ロクに配給もなかったみたいですなあ


焼かぬ干物に半煮え飯....こんなもの食ってマトモに戦えるはずがないし、勝てもしない。後年米軍の携行ランチセットを食べた兵士は嘆息したという


露営の夢を月は冷たく....要するにテントのない野宿だということ


どうせ生きては還らぬつもり.....太平洋戦争の頃にはこの曲は当局から目の敵にされ最後のフレーズは改竄されています。オリジナルは「どうせ生きては返さぬつもり」だったはずです。


公文書に限らず、都合の悪い部分はこっそりあるいは露骨に「書き直す」は昔からの悪習慣なんです。

なんといっても、硫黄島の栗林中将の辞世の句


国の為 重き努を 果し得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき


最後の「悲しき」を「口惜し」と書き換えて大本営は公表しています。

軍歌のフレーズならまだしも...死者への冒瀆以外の何物でもない。





スポーツロマ族

 



かつては(今もそうかも)倭国には国体ジプシー選手なる種族がいた(いる)

ジプシーなる言葉は理由としては知らないが「差別的」だそうですから、名題は「ロマ」
五輪には手が届かないが、国内的には準トップクラス
連中は毎年国体開催県の自治体(特に教員)なんかを転々とし、開催県優勝に貢献する。

毎年開催県が優勝するカラクリには様々ありますが、
その一端である。
自治体なり国家の面子がかかればなんとしても
有力アスリートを集めたいのは人情として分からなくもないが、度を越せば喜劇にしか見えない。
国体総合優勝の称号なんてさほどとも....



スポーツ国籍なる概念がある。
基本はいわゆる国籍と等号であるが、多重国籍者に対してはいずれかをチョイスしてもらう。
変更は一回限りで、何年間かはダメとかなんちゃらが
基本ルールとなっている。
国籍変更は自由自在だが、スポーツ国籍の変更には、
一定のインターバルとかその国の居住実態とか要件が加重されている筈である。

しかしながらスポーツによってはレギュレーションが甘くて、一定期間の居住があればラグビーではスポーツ国籍が与えられるようだ。
倭国のラグビーも多少は強くなったが、そんなカラクリだけに依存しているならば気持ちは複雑。



世界的な人材獲得競争の流れ...なんだからまあ致し方ないのかな。
勝者も敗者も須らく同化して国力を高めたクラシックローマの故事に習うとしよう。
優れた人材が集められるのも国のチカラ



曰く...

桃李物言わず、下おのずから蹊を成す


しかし「高度外国人材」なんて制度を垣間見る限り....

内閣府の定義だとこうなるんですが、、、そんな優れた人材がやってきているのかしら?



国内の資本・労働とは補完関係にあり、代替することが出来ない良質な人材であり、我が国の産業にイノベーションをもたらすとともに、日本人との切磋琢磨を通じて専門的・技術的な労働市場の発展を促し、我が国労働市場の効率性を高めることが期待される人材






2021年6月24日木曜日

ロビンソンクルーソーと資本主義の精神

 






「ビール大全」なる新書片手に雑学程度にビール製法くらいは身につけようと....

無論身にはつかなかったが、余計な史実を再確認してしまった。


17世紀のころ
ロビンソン・クルーソーは、三十年あまり孤島で自足自給の生活をおくったが、それは採集経済的なものでなく、前産業革命化社会の萌芽が垣間見える処が経済史的にも産業史的にも有意差があるとされる。
お子様向きの読み物程度と見下してはいけないし、高名な経済学者が引用するくらいなのだ。


彼は不器用で怠惰で何一つ自分の力でものつくりのできないエゲレス人であったが、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を絵に描いたように....
まあ辛苦と努力の結果なんでも出来るようになるのですが、麦酒つくりは成功しなかったというのがおはなしのオチ(^^)

英国がプロテスタント国かどうかは疑わしい。

ローマンカトリックと喧嘩別れをしたのは、英国王の個人的な理由...というより、正式な王妃になりたい!と言う愛人(アンブーリン)の我儘放題な要求に屈したため。

カトリックとの形而上学的な論争ではないのだから、イタリアンの常套手段である「婚姻の原始的無効」を援用すれば、後年の血腥い争いは回避出来たのに...



書物的には酒造りは味を無視すればさほど難しいものではないようだ。
麦酒の場合は...

水(当たり前ですが、ないと始まらない)
麦芽(発芽させた大麦を加熱乾燥させ幼根を除去)
ホップ(香草でも可。除菌、苦味や味わいの元)
酵母(醗酵の元くらいな知識しかない)

ロビンソンの孤島では、ホップがなかったらしいし、アタシと同じで酵母についてかいもく手探りだったみたいだ。
麦酒でなくとも果実酒なら、、例えばシードルなんかだと手間隙かけなくとも出来ますが、やはりエゲレス人は麦酒にこだわったのか(^^)


半世紀ぶりに手をとった極色彩画入りのロビンソン漂流記
これは老母がご幼少のみぎりに買い与えられたらしい稀覯本
なんと富山房刊行の大正14年版で定価三円八十銭なり。




改めて読み返してみるに、一握りしかない麦を栽培し、土器を焼き、パンを作りという労苦は何ページも続くのですが、ビールつくりの話は皆目出てこないところを見るに、ビール大全の著書の悪戯に引っかかったのかな?
パイプが作れなくて嘆くシーンがあるので、ロビンソンはスモーカーではあったがドランカーではなかったと言うこと。


面白く無いねえ(笑)
資本主義の精神とは禁欲にありか?・・・・
嫌だねえ・・・マックスウェーバー的って
ちょっと歴史の知見があれば、吉宗の緊縮財政よりも宗春(尾張藩主)の享楽的需要喚起型経済政策のほうがファンタスティックだと誰もが思う。


飲酒自粛令や興行取締令が資本主義の胎生の秘訣なんて誰も考えないのですよ。







2021年6月23日水曜日

笹の雪

 





根岸の里の侘び住まい....ってことですが、豆腐の思い出でも。
創業三百年になんなんとするとうふ料理の老舗が、鶯谷駅の近くにある。

この名店では豆腐と書かずに「豆富」と称します。


浅学菲才の身ゆえ知らなかったが、
寛永寺の法親王が京の都から持ち込んだのはさえずりのきれいなウグイスだけではなく、京都の絹ごし豆腐もそうだったそうです。
創業者は宮家御用達だったのでしょうが、はるばると野暮とバケモノしかすまない江戸の地までやってきたのですよ

紆余曲折の果てに立派なお店を構えていますが、最後に訪れたのは四半世あまり前のこと
在任中に無念の病死をとげた職場の先輩の退院祝いの席。
病み衰え、食も細くなり・・・
豆腐くらいなら食べれるだろう...とか、当時のアタシは小器用なパシリでしたから、お店を探し予約をして....上司の役員と部長のお手元で四人で卓を囲む。

無論バーテンダー役もアタシ

思いがけなくも先輩は食が進み、明るく談笑。
今から思えば、燃え尽きる前の蝋燭の輝きだったのかもしれません...(シンミリ)



近くに子規庵が有り、正岡子規もご贔屓だったとはその時に伺ったはなし。
細川家に預けられた赤穂浪士に、法親王が差し入れたのもこのお店のおとうふだそうです。
聞き及ぶに、幕閣では浪士の処分をどうするか考えがまとまらず、困り果てた綱吉は法親王に相談したとか・・・
世間知に乏しい皇族の「粋な意見」ってにわかに信じがたいが、そういう文脈でこの「差し入れ」を考えれば、なんか得心するところもある。

忠臣蔵ものでは、二人の相談するシーンは見た記憶があるが、豆腐はどうだったかなあ?





2021年6月22日火曜日

十八の瞳

 




松竹大船調定番の湿度100%。ひたすら涙腺を刺激する反戦映画の原作はあの壺井栄の小説。

感情でなく理性と論理に訴えないからどうしても底が浅くなるのが、この手の作品の致命的欠陥
未だに日本映画オールタイムベストの上位常連とは....まあこの手のランキングでは定番は無視しにくい傾向になるだけの事。

とりわけ記名投票だとそうなる。



ブータン 山の教室


小豆島の分校に勇んで赴任してきたオナゴ先生と違って、デモシカの若手教師。首都から遥々と八日かけて辺境の村に渋々やって来る。


教育は未来に触れる....ブータン国の教育理念だかどうかは知らないが、国民総幸福の基層には教育と考えているならば実に素晴らしい。

教育と鉄道が新国家の背骨と考えたのが明治政府。

知らなかったが清国から分取った台灣のインフラ整備にまずやった事が小学校の建設と公衆衛生...


半年余りの短い期間ながら、グウタラ若手教師は理想的な教育者に脱皮し、子供達も未来に手が届きそうにまで成長する....

標高五千メートルの辺境なんて想像に余りあるし、インターネットや宅配便のない世界はいささか辛い。

全く知らない社会だが....


箸やナイフフォークは使わないんだ。

電気は不安定なソーラーだけ

エネルギーはヤクの糞


しかし多少年齢がバラつくがひとクラスで生徒数は九人。

毎日八時半から三時までの授業

国語と算数はいいとして...英語も教える!

A is for apple. とか

それに、やる気のないデモシカですら初歩の英会話くらいはできるみたい。

プチびっくりは、国語の時間でブータン語の五十音順をメロディにのせて音唱するシーン。

なんと多少変調しているが、かの哲学者ルソーの作曲作品のメロディラインにのせているではないか!

一体なんだ?とおもうだろうが、オリジナルには歌詞がなくて世界中で様々な歌詞が付けられている。

倭国では


むすんで ひらいて てをうって ....🎵


残念ながら、このシーンに感動したのは、極私的プロ映画鑑賞家だけだったみたい

2021年6月21日月曜日

ヒコポンドリア...

 医学辞典的には...


神経症の一種。

客観的にはなんら身体的異常が認められないのに、頭痛、めまい、胃が重い、脱力感など、主観的にさまざまな異常を感じて、病気ではないかと気に病むことを特徴とする...




近代的な病理と言われるが、中華古代の列子の天瑞編に曰く


の国に人の天地崩墜し身寄する所亡きを憂えて寝食を廃する者有り。

又彼の憂うる所を憂うる者有り。因って往きてこれを暁して曰く、天は積気のみ。処として気亡きは亡し。屈伸呼吸の若き、終日天中に在りて行止す、奈何ぞ崩墜を憂えんや、と....


中華故事成句である「杞憂」の事であり、無用の取り越し苦労で身を危うくすることを戒めるものである。明治に西洋医学が持ち込まれた際に漢学の知識があれば「杞憂症」と翻訳したに違いないが、卑俗な命名となったのは残念な事である。


19世紀の英国に....タイトルは失念したが、テムズ川下りでの紳士達の会話小説がある。その紳士のひとりが杞憂症らしくてあちこちの医者にかようのですが、ある医師の処方箋によれば

毎日のウォーキング

三度三度に適量のステーキとビール

早寝早起き




実に面白いが、この時代とはアッパークラスが「運動」に勤しむようになった時代。下流民は労働で身体を酷使するからスポーツなんかには無縁。アマチュアリズムの濫觴とはそういうものであり、そのあたりは映画「炎のランナー」に詳しい(1924年のパリ五輪が舞台)


五輪出場選手である貴族の若者がいる。居城の芝生にシャンパングラスを載せたハードル毎に従者を立たせて練習に勤しむ...実に本来のアマチュアリズムとは典雅なもの。しかし同僚の出場選手の種目が安息日に当たり宗教上棄権を余儀なくされ...彼は自分の種目をその選手に譲り....まあ映画ですから金メダルに輝く。実にアマチュアリズムとは素晴らしいのですが、肝心の感動箇所は実話ではないものの、英国映画界の金字塔。ロンドン五輪の開会式でもその映像の一部が流されました。


実は公式記録映画以外のオリンピック映画の世界は実に貧相であまりにつくりものめいた作品ばかりで見るに耐えない。この世界での最高峰がこの映画だし、事実オスカーの作品賞でもある。あまりにも商業主義的でないストイックなオリンピックが描かれて好評を拍することは...IOCとしては痛し痒しなんだろう。


さて、、、河合直美さんが鋭く切り裂くような記録映画を作る事を期待しているんですがねえ....




2021年6月20日日曜日

ネーミングライツ

 





表音文字の国は単純で分かりやすい。
多少のスペリングで個性を出せるが限定的(F → PH)
引き換えて漢字文化圏の多様にして豊穣なこと!
反面...説明が難しい。

タカラヅカのコウヅキノボルさんのノボルと
閑院大臣フユツグのツグで...

まあ一発で解ったのは岩波の出版部だけだった。



どこの国でも「名前制限」があるようだ。
倭国の場合は漢字制限程度で後は戸籍吏の社会良識による裁量に任されている。
悪魔はアウトだが、王子様はセーフ!
悪...一字ならどうしただろう?

業務独占職種を示す単語棟を制限列挙的に規制する国もあるし、反キリスト的ネームもダメ
さて...ドイツの例

慣習法的に煩雑なまでに厳しいルールがあるようですが、、子供の名前に「アドルフ」が許されるのか?


ボン大学の高名な文学部の教授
その妻は小学校の教諭
妻の家庭で家族同様に育ったオーケストラのクラリネット奏者
落ちこぼれながら事業に成功した妻の弟
弟の恋人は妊娠中な舞台女優



五人の登場人物達の楽しいはずの晩餐会は、
生まれてくるはずの「男の子」の命名...実は弟のたわいない冗談が発端となり、隠しておきたい本音と秘密が露呈する。
その過程での知識と教養に裏打ちされた知的な言葉の格闘技
とんでもないカタストロフから、ニヤリとするエンディングへ....





オリジナルは見るからに理屈の多いフランス舞台劇
映画化に際してグロテストなまでにドイツテイストに
置き換えているようです。
しかしかなり雑多な知識を要求されます。
ドイツでは大ヒットしたらしいが....
やはりゲルマン族は「高等」民族なんだ!って優越感に浸りながら、偽善的にジンケンヤを気取るって気分が味わえる佳作でさす。



倭国で大ヒットするとは思えないが(事実ほとんど無視されました)
意識高い系二番館では、カップリング次第ではお立ち見になるが、、、名画座にもおちてこない。

しかし、嬉しいことにネットフリックスのラインナップにはありました!

2021年6月19日土曜日

俳壇に新風! 月陽炎の立つ夏の日の水面

 


全くそう言うつもりもなく・・・
なんとも、俳句風味なタイトルは、ある種の絶景
歳時記にのせてほしいくらいの絶唱・・・と自画自賛したいが、あまりにも自由律だと非難されるかも。

GW明けくらいから「クールビズ」だとか言われると・・・夏って「五月から七月」のはずもなく、陰暦では「4月から6月」をいうが、まあどっちでもいい。


季節が一夜にして変わるって誰も思っていないからこそ、

片面涼しき風が吹く   とか
目にはさやかに見えねども   って王朝歌人は歌ったのです。
もっとも四季折々に季節の移り変わりを感じるのでなく
冬から春
夏から秋
に限られますってところが多少ご都合主義





夏の到来は、暦よりも風物のほうが似つかわしい。
勅撰和歌集であっても「夏歌の巻」は分量的に貧弱である。特段ネタがないわけではあるまい


時鳥

卯花
常夏

五月雨

・・・といっても「古今」だとこの程度。
優雅に一首ひねろうとしても、暑いし、湿気が高いし、やぶ蚊が飛ぶし・・・それどころではなかったし、
活動時間帯の夜が短いから、ろくに作歌時間もなかった。
しかし、辺境美の極致みたいな一首があった!


夏の月 光をしまず 照るときは 流がるる水に かげろふぞたつ(興風)


複雑な技巧を凝らしているわけではないし、縁語掛詞も登場しない。
言ってしまえば「日記タイトル」の通りの幻影的な風景である。
陽炎は、昼の盛りの照りつける太陽のもとでの光景だろう・・・ってしたり顔に思ってはならない。
歌人の眼にはそういう風景が目に映ったってことが大事なのです。

優れて理知的ですが、古今時代の歌人は「なにもない空間や水底」に幻視を見る

影見れば 波の底なる ひさかたの 空漕ぎ渡る われぞさびしき
月影の 見ゆるにつけて 水底の あまつ空とや 思ひまどわぬ


---

ウィキをググるに「月陽炎でも陽炎月」なる用例はありません。
唯一が....アダルトゲームソフトらしいが、初耳(当然でしょう・・・)

2021年6月18日金曜日

利休鼠はマウスの変異株?



あの名歌曲って「盗作」かもなあ・・・
主要な旋律が似てますが、今なら100%アウトかも知れません。





城ヶ島って三崎のはずれって知ったのかそう遠い昔ではない。
三崎で雨に遭遇したことはないが、利休鼠の長雨なら、マグロの希少部位なんかを肴に酒を飲むと何か感じるものがあるのかも。


作曲は、高田馬場の学校から上野の音楽学校に転じた某氏(名前は忘れた)
作詞はあの北原白秋
抒情的で夢二感覚で人気があるが、そうたいそうなものだとは思わない。
なんちゃって天才詩人と言われるくせに日本語知らないですから(笑)
姦通罪でしょっ引かれそうになり、逃亡の果てが三崎あたり
そういう環境下の作詞と思えば情感たっぷりだが、別に同情も共感もしないが、、多少は羨ましい(^^)

この歌では「りきゅうねずみ」の雨・・・って歌います。
でも一体どんな雨なのかねえ?





御贔屓の「定本和の色彩辞典」には登場しない色合いです。
灰色系統の色合いは一番ソフィスティケートだ!
黒はきつすぎるし、白は汚れが目立つ。
本来は灰色というべきだが、火事の跡みたいな感じを嫌って「ねずみ」というのが江戸のおしゃれ感覚。
しかし、ただしくは「ねず」という。
だから「りきゅうねず」が正しい日本語で「りきゅうねずみ」は無知の証明

だって「ネズミ」って薄汚いですから
熊本あたりの田舎者だからってバカにしているわけではないし、白秋は伝習館の出身です(でも落第したそうですから、やっぱり馬鹿だ)


そうオシャレや色彩感覚に詳しいつもりはない。
しかし、質朴な感性からしても「ねず」が最高の色彩だ。
定家ならば「あばら家にブガッテイ」っていうかもねえ・・・

一番単純ななんのニュアンスも含まないのが「素鼠」・・・すねず
定義すれば、色と黒の中間で「色み」を含まない色とされる。
この時点で「利休鼠」は素鼠ではない。
ものの本には「緑がかった灰色」って書いてますが、お濃茶の色からの連想らしく、利休師好みの色なる歴史背景からではないようです。

鉄鼠
鼠志野

なんか・・・どんな色だか口で説明しにくいが、茶碗系の色目かなあ?

なんだかそういうことを寒村陋屋で考えていると梅雨の季節に相応しいかなあ 

2021年6月17日木曜日

雛罌粟

形容詞的に「雛」がつけば、ヒナゲシ 途端に舌足らずで貧語症な...そのくせ鼻っ柱だけは強いイヤなオンナを思い出すし、昨今はさらに...反香港民主派の走狗なんだが、、、 なんとも、あの香港の女神と紛らわしい 罌粟のイメージは良くない。 阿片、麻薬とくれば.... しかし、雛罌粟はコクリコである。 知らなかったが仏蘭西語だって あの鉄幹と晶子の相聞歌 晶子のこの歌ばかりが有名ですが..... ああ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟 ....われも雛罌粟 相聞歌はセットで味わうもの.... つまり「有名」なのは、鉄幹の前座歌があってこそ.... 罌粟咲きぬ 思ふは低き屋根裏の 夕焼けに寝て ....吸ひし唇 巴里滞在中の鉄幹を訪ねた晶子との半年ぶりの再会 まあ、、想像はさまざまですが、 なんとも淫靡な雰囲気が漂います。 混ぜ物ばかりの麻薬のような陶酔感かしら 本当にこの夫婦はエロだ。 いまならエロサイトに秘め事画像を投稿するようなものですよ 芸術に羞恥心は無縁なんだ かの某医大出身のエロ作家が、評伝のタイトルに この晶子の絶唱を使ったのはけだし卓越したセンスである。 このあたりのセンスだけはすばらしい この評伝は、角川の野性時代で読んだはずだがすっかり忘れましたが、改めて読む気にもなれない

2021年6月16日水曜日

うぬぼれとねたみ

 Pride とは... 

自慢、得意、満足、自尊心、誇り、うぬぼれ、高慢、思い上がり、、、

他方で、prejudice は、偏見、ひがみ、先入観とか

この二つの単語からなる19世紀最大級の小説
アタシとしては、重苦しいロシア文学は敬して...横に置き、あとはこの作品とボヴァリー夫人だけ有ればいい(これは毎度のセリフ)




後は倭訳する際にどの単語を当て嵌めるか...という順列組合せ問題。
倭訳は十種類あまり出版されていますが、アタシの書庫にあるのが阿部知二先生の「高慢と偏見」
ざっとググるに...
全ての訳が「偏見」になっていますが、ほかに適語がなかったのかしら

反面、pride の方は多彩で...高慢以外に、自尊、自負、誇り....キーラ・ナイトレイの主演映画はお手軽に「プライド」だった。

このジェントリーの下層階級のベネット家

美人の長女は、ロザムントバイク

次女が主役。美人ではないが知的という設定

あと、、キャリーマリガンが妹にいますが、、あまり記憶にない。

駆け落ちした妹かしら?



アタシならば婚活女子向きに換骨奪胎して


「うぬぼれとひがみ」


にしよう...って思うが少し違うかな?

なんせ様々な二次創作インスピレーションの宝庫ですからなんでもあり

有名どころでは「ブリジットジョーンズの日記」

ミーハー系の若い女性を虜にする月並みの惹句


等身大のあなた....


そんなに面白い映画でもなかった。




この悩ましい画像は「高慢と偏見とゾンビ.」..なるキワモノ映画のワンシーン。

ネットフリックスのラインナップなんですが、他に観るべき映画があまたあるのでとりあえずはパス。

そうひどくはない、、というかBJの日記よりも面白い。

ヒロイン役のリリージェームズは、その後多少ブレイク。




藁にもすがる....

 曽根圭介原作のピカレストロマン「藁にもすがる獣たち」をコリアンが映画化。

原作はあまり話題はならなかったが、コリアン映画人の目利きに軍配!
原作を多少メイキングしているようだが、原作者得心とのこと




人生なり生活再建の原資はヴィトンのバッグの10億ウォン。
はした金とは決して言わないが、多数の命を犠牲にするまでの金額かといわれれば...まあ命の安い国なんですかなあ?

ストーリーは時間軸を微妙に錯綜させながら展開しますが、プロローグとエピローグが巧く繋がります、、ってあとから気が付くはなし。

人物群も絡み合うし、油断すると訳がわからなくなる


悪女に入れ込み、闇金に追い込まれる出入国審査官

グロテスクなまでに冷酷な闇金オヤジ

貢がせたカネをもって国外に高跳びしたい悪女

投資に失敗し、DV夫から虐待を受けるデリヘル嬢

デリヘル嬢に同情する頭の悪い馴染みのチャイニーズ

出入国審査官にまとまりつく高校の先輩刑事

家業の飲食店が立ち行かなくなりサウナのバイトと空港の掃除で認知障碍の老婆を養う夫婦


なんだかんだで七人の死者がでますが、生き残ったのは額に汗して愚直に働く夫婦だけ。

10億ウォンのバッグも夫婦の手に....この家族はちゃんと生活の再建ができたのでしょうか?




ちなみに認知障碍の老婆は、あの「ミナリ」でオスカー助演女優賞の栄誉に輝いた女優....申し訳ないがコリアン俳優の名前が苦手ですが、やはりな存在感は伊達ではない。


たまたまの偶然でしょうが、ミナリもこの映画も自宅が炎上するシーンがあり、何れもがこの老女がそのセンターなんですよ。




2021年6月14日月曜日

骨抜き水抜きタヌキ

 



積年にわたる法外な寄進や....にも関わらずの我が祖霊に対する非礼なんかを針小棒大にネチネチと言挙げ。
古刹の檀家総代のお話は慇懃無礼にお断り
実際のところは、村役を押し付けるならば、離壇すると脅したようなもの。



寒村陋屋あたりでは、墓の撤収を「骨抜き」とも言います。
実際に墓には納骨もしますから適語だが、ちょっと前までは土葬だった。
その時代は遺髪とか遺爪なんかを納めていたのかね?
骨抜きなんかいつでも出来ますし、
分骨もしてますから、離壇料で紛糾するならは望むところだ....って喧嘩腰はよろしくない。



しかし、いささか困ったことが「水抜き」
核戦争後の荒廃した地球では、オイルの争奪...というのが、マッドマックスの世界。
しかし、最近は水争い
今や血の一滴はアブラではなく、ウォーター!
実際に国際河川での水争いは一髪触発状態だと言われています。

ご先祖や一族郎党が鍬や鎌で武装して、近隣と流血事件をくりかえしながら守りきったらしい水利権
これ無くしては米は一粒たりともできはしない。

ため池や用水路から張り巡らした畦水路自体が
立派な社会システムでもあるが、水利組合なるものに
加入する百姓のお財布で維持されている。
実のところ百姓をやめるのは簡単ではない。




農地の固定資産税は十倍くらいになるし、
地目変更は面倒だし、売買も簡単ではない。
なかんずく水利組合からの離脱は、骨抜きよりも面倒だし、噂では水利料の二十年分を上納する必要があるらしい。
その程度の額なら...でもそれは違う
今だって百姓といいながらおコメはつくっていない。
水抜きしてもさしたる害もないが、
土地資産の有効活用を考えれば、銭金は瑣末なこと
倭の原風景の今以上の荒廃に手を貸すつもりは毛頭ない。プラごみナンチャラつまらない事には冷ややかだが、ことの本質は分かっているつもりだ。

帳簿は世界史をつくる

 



見たくない真実を知る事が好きなヒトザルはいない...とは言わないが、優れて限定的。
数字と文書は嘘をつかないはずだが、健全な倫理観や文化の枠組が疲弊すれば、虚偽と粉飾がまかり通る。
国家の興亡は適切且つ正確な...なんて大上段に構え
姦しい統計不正や公文書「書換」に怒りの鉄槌なんて気はない。


今回は、ちょっと楽しい歴史ネタ
三、四年前、リアル書店の平置きを眺めながら
文庫になったら買おう!
待ちきれないなら図書館で....




公立図書館には本当に読みたい本は閲覧出来ない
或いは出来にくく出来ている。
やっと文庫版が刊行されたのはしばらく前。

歴史上有名な経済学者が会計の重要性を
異口同音に力説しても、馬耳念仏なアタシ。
が、ファウストに「人類史上最大の発見の一つ」なんて字句を見つければ居ずまいを正す。

著者のように国の浮沈は会計責任に依存する...
とまで言い切る知的自信はない。
少なくもクラシックローマ衰退の諸説には聞いた事がない。
しかし、会計官なる若者の登竜門みたいな職種がありましたから、若いうちに経理や兵站で鍛える事の重要性は理解していたようです。
残念ながら、ゼロの未発見とローマ数字では近代的な会計管理は不可能。

複式簿記の発祥は、14世紀のイタリアらしいから、
ローマ衰亡論に関連付けてはならない。
しかし、近代日本の発展の基層には、江戸時代からの
倭式複式簿記があったればこそ、近代西洋文明システムの定着が容易だった...と言われれば反対はしない。

たしかに簿記の左右の等式均衡法則は、...
当たり前と言えばそれまでだが、身震いがするくらい感心する。
フローとストックがみごとな関連性をしめす。
勝手に感動してしまえば、オチが無いなもんで...


マトモな大学の文学部国文科は、古文書解読が必須だった。
今は知らないが、必ずそうしてほしい。
古文書と称するもの、八割九割は読まれていない。
デジタル媒体と違い、和紙に墨ならは千年は持つとは言え...
早く解読され、未来への貢献を待っている。
たいていは、商家の帳簿を読まされるそうですが、
無味感想の中に真実はあるのです。

2021年6月12日土曜日

三題噺

 




意味不明な三題噺です


摂津源氏の遠藤盛遠は粗暴で思慮の足りない北面の武士
袈裟御前なる女院に仕えるキャリアウーマンにのぼせ上がったのが間違いの始まり。
まずいことに袈裟御前は人妻で、夫は同僚の武士
相思相愛ですから不倫なんてとんでもない...
潔く諦めるのがモノノフの道なのですが、
アタマに血がのぼった盛遠は段平振りかざして言いよるばかり。
進退窮まった袈裟御前曰く...

今晩夫を殺してくれるならば...

勇んで寝所に忍び込み、一刀両断!
そこには身代わりの袈裟御前

さすがのアホも目が覚め、我を悔い出家
文覚と名乗り、その後は頼朝に平家打倒を促したりなんだかんだ


史実かどうかは分かりませんが、有名なエピソードとして映画化もされました(原作は菊池寛の戯曲)




地獄門(ベネチアのグランプリ)

京マチ子さまが袈裟御前
長谷川一夫が遠藤盛遠
袈裟御前の夫が...山形勲(だったと思います)
グランプリ(正確には銀獅子賞)に相応しい作品かどうかは疑わしいが、ともあれ羅生門、雨月物語と三作連続でグランプリ作品の主演女優って世界を探してもいません。
白塗り二枚目が色悪を演じてもあまり様にならないが、後年悪役で名を馳せた山形勲が折り目正しい武士って多少皮肉っぽい(^.^)


愛する者がいるのに邪恋で進退窮まり、我が身を犠牲にして事態の解決を図る...これヤマトナデシコの鑑
このモチーフにインスパイアされたのが、
山崎ハコ版のきょうだい心中

きょうだいは掛け言葉と思われます。

京大
兄妹

いまでもあの学校の学生さんが歌い継いでいるのかどうかは知りません。
アタシが百万遍の裏通りの安酒場で聴いたきょうだい心中は多少の旋律と歌詞が違います。
はっきり言えば...春の歌
多分山崎ハコ版が正調と思われますが、京都のトラディショナルソングでしょう。




山崎ハコの一連の歌謡は、自殺者がでないのが不思議なくらいの漆黒の闇
そのくらさを突き抜けた先になにかがあるってこと。

2021年6月11日金曜日

うろこ、かき、こけら

 


....


駄洒落漢字クイズのレベルである。


柿は、なべふたに巾でカキ
杮は、よこぼうに巾でコケラ

取り違えやすいし、フォントでは区別がつかない場合が多い。

漢字の基本としては音読みで覚えればいい。
大抵は、つくりで読みが決まる。




柿はシ....つまり、横浜市とか神戸市
熟れた柿のことは、我が寒村陋屋あたりでは、
ジュグシあるいはズグシと音便変化します

杮の方は、漢音ではハイです。
三国志の劉備玄徳は沛というムラの出身ですから、

多少の知名度がある。





まあ、勘違いして恥ずかしいとか知らなくて慚愧だとか...
しかし、そう大したことないじゃない。
若かりし頃のアタシは、人前で「カキオトシ」なんて平然とかつ皮肉混じりに堂々とのたまうのが大好きで...
ご年配が咎めてくれれば倍返しをしようと牙むいてまっています(^^)


曰く....

そうでしたね(と薄ら笑いを浮かべながら...)


「こけら」のツクリは「ナベブタにハバ」だし、

「かき」は「横棒にハバが突き抜ける」んですよね。


残念ながらこの底意地の悪い引っ掛け問題をさらに咎めた御仁はいないんだわ(^^)

そこまでの知識がないなら黙ってればいいの!

とまあ長いマクラが終わり、本論はこれから


肺臓という漢字
医業関係者は、誰もおかしいとか思わずに
使っているのでしょうか
肺は、月偏ですが正しくは肉月。旁は市(なべふたに巾)
訓読みはなくて「ハイ」と読みます。

ねえ!おかしいでしょう。
ハイならば、こけらのようによこぼうに巾がつきぬけないとおかしい。
どうしてだか諸説紛々でよくわかりません。
戦後の漢字改革の際の齟齬だといわれますが、多分違う。
それ以前から混乱していたのだ。
本家本元でも誤解されそのまま輸入されたのか、輸入された際に当時の大学者さまがかき間違えたか....

坪内逍遥先生の「夏至と真夏」の誤訳も似たようなものです。


なんにせよ、象形文字的には「巾」が肺臓の形を表しており、体内でぶらさがっているさまらしい
いまさら原理原則通り「シ」とハチオンするわけにもいかない。
要するに、カキオトシの何処が悪いのよ!って
毒付く根拠なんです。

2021年6月10日木曜日

新参者

 東野圭吾のミステリーは好きでも嫌いでもないが....


白夜行
新参者   は傑作の部類だと思うし、とりわけ前者は....
後者は「短編連作長編」形式なミステリーで足かけ五年ばかりの時間をかけて完結。
テレビドラマされた全十話をネットフリックスで一気に!
ひまな年寄りだから出来る事(^^)

主人公は警視庁日本橋署の警部補加賀恭一郎

国立T大学社会学部卒

在学中は剣道大学選手権の覇者(六段)

高校教師を経て警察官へ...


かなり造形に虚妄があるみたいな.....



日本橋署は消防庁にはあるが、警察組織にはない。管轄からすれば、久松署か中央署(人形町を所管するのは前者)

一体どこの大学だ?

千葉

筑波

富山

東京、、、あとは栃木大学(正しくは宇都宮大学と言います)

しかし、国立大学で社会学は履修出来るが社会学部は聞き及ばない。

剣道六段....うろ覚えだが、昇段には様々なレギュレーションがあり、若くて強くても高段者になれないカラクリになっている。

在学中ならば最短で18歳で四段、なんとか四回生で五段に手が届くかどうか....社会人になっても修行を続けて昇段したようには見えない。

なお、国立大学で剣道が圧倒的に強いのは筑波大。

以上より、教職についた事も踏まえて筑波大学社会国際学部出身の可能性が一番高い。




主人公の化けの皮をはぐのに疲れたが、

殺人事件の顛末を書き散らかすよりも楽しい。

2021年6月9日水曜日

誰がクックロビンを殺したの?

 

まだ連載してるんですよ。

荒唐無稽から支離滅裂....でもこうし難い魅力があるのは「翔んで埼玉」と同じ。

原作者同じだから...当たり前に雰囲気は似ています。

しかし、唐突に脈絡もなく現れるこのフレーズは一体なんだ?

まるで、盆踊りの合いの手だわ



マザーグースに由来する事くらいは知っているが、元来はなぞらえミステリーの大事な小道具。

マザーグースをモチーフにしないようだと本格派ミステリー作家として見下される傾向すらあります。

模倣大好きな倭の探偵小説家にもそれらしきものは有りますが、成功しているかどうかは、、、



イーデン・フィルポッツ


20世紀初めの英国の田園作家...と言われても田園作家の意味が判らない。

むしろミステリー作家として著名。

しかし「誰がコマドリを殺したの」を読んでますと、かの19世紀を代表する「高慢と偏見」を彷彿とさせるカントリージェントリーの世界。

虚飾が生き甲斐な連中だって、、違うなあ、だからこそ衝動的に計画的に犯罪を起こすのです。



かれのミステリーは「赤毛のレッドメイン家」が歴史に残る名作とされますが、中身はすっかり忘れた。

ウィキペディアには項目はありますが、コンテンツは貧相。

逆にあまり評価の高くないクックロビンの方が豊穣です。乱歩氏によれば、ミステリーよりも恋愛風俗の方の描写が多過ぎるのが難点....

今時の批評家とは、、時代が違います。

原作はベルサイユ体制の頃


ちなみなマザーグースではどうなっているかと原典を読むと...


クックロビンを殺したのは、雀

第一発見者は、蝿

墓を掘ったのは、梟

お葬式の導師は、深山鴉

喪主は、鳩

棺を担いだのは、鳶

棺覆いを運んだのは、鷦鷯(ミソサザイ)

讃美歌を歌うのは、鶇(ツグミ)




被害者はクックロビンという愛称の二人姉妹の妹。

姉の愛称は鷦鷯。

犯人は....雀は登場しませんし、弓矢で射殺された訳でもない