気候も良くなれば旅の気分に、、、
かのナリヒラ君は「身を要なき者」なんてしおらしく言ってますが、実は帝のフィアンセを誘惑し処払いを食らったのですよ
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かきつばた(杜若あるいは燕子花)の満開の頃、八橋なる知立と豊橋の間あたりに辿り着いた。
いつに京を出たのかは知らないが、旅立ちは春先だと決まっている(芭蕉の奥の細道紀行の旅立ちも陰暦三月)
初夏の頃に三河に着いたのならば平仄があう。
この折句の技法はさしたるものでもなくただの戯れ歌
杜若の和歌ならば
杜若 衣に摺り付け ますらお着
きそい狩する 月はきにけり(万葉集 家持)
の方が遥かに品格が上
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宇津の山ってよく知らないのですが、読むに幽山深谷に聞こえますが、さしたる標高でもない静岡市内の宇津谷峠らしい。
この辺りは白髪三千丈的修飾に習ったか?
この時代の富士山は陰暦五月の末でも結構な積雪
しかし気象史では温暖期だったとされますからたまたまの寒冷なのか捏造しか考え難いが、紀行文には捏造が多いから多分後者だ。
(注)奇特な方の定点観測的写真を勝手にお借りしました
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都鳥はゆりかもめのことらしいが、冬鳥。
五月の終わりに駿河にいたのに、隅田川あたりには渡り鳥がやって来る頃にやっと到着。
この間何処で何をやっていたのだ?
伊豆か箱根の温泉で骨休めかなあ。どっちも奈良期の開湯らしいからあり得ますが、温泉には◯芸者、、つまり遊女が付き物だが、時代的にはまだはやい。
長々と湯あたりするほど浸かっていたはずはなく、旅の疲れで寝込んでいたのでないなら、この部分もフィクションだろう。
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