曖昧な態度は許さない。
総力戦の時代に軍事と芸術の分離独立的態度は有り得ない.....かどうかですがねえ
音楽系の芸術の世界では旗色を鮮明にしない限りステージにたてない有様になっている。
総論として「戦争には反対」程度では許されない。アンナネトレプコ(ソプラノ歌手)もとうとうプーチン批判を余儀なくされた。
しかし「踏み絵」を踏んだからMETに復帰できるかどうかは、、、知らない。
西洋の楽壇の立場はロシア色の全面払拭ではなくプーチンに対する立場により取捨選択するものだから、、、アタシは役柄にもよりますが好きなソプラノだから喜ばしく思っています(なんだか心にもない自白を強要したような不快感もあるが)
が、かの戦争中の「鬼畜米英なんでもダメ!」みたいな狂信的ペイトリオリズムは論外。
かの敗戦の後のスケープゴート狩は逆狂信的でこれまた論外な狂騒。
各界で誰か...出来るだけ著名人がいいってことで、画壇ならば藤田嗣治氏が槍玉に
彼の戦争画は戦意高揚よりも圧倒的な筆力からくる戦闘の酸鼻の表現だとおもうし、戦争画画家は他にもいました。
その後倭国に嫌気がさしたんでしょう、、、嗣治氏はフランスに骨を埋める事となった。
歌壇ではなんと斎藤茂吉氏。
後年文化勲章を拝受された大歌人なんだが、、、折に触れての作品を指弾されたようだ。
出来の良くない(嫌々渋々感満載の歌ばかり)東條英機讃歌が並んでいますが、糾弾するならば全員だろうし、白秋に至っては「東條さん」とかいう童謡めいた詩まてつくっていますから、罪状の重さは言うまでもないとおもうが、、、
茂吉の場合は、単純な尊皇家なんですよ(以下はウィキの引用)
しかし、彼の年譜には書いてませんが「萬軍」なる折に触れて発表した戦時詩歌の自選アンソロジーがありますが、幸いにしてこの決戦歌集シリーズは刊行前に敗戦となりマボロシと。
仮にも刊行されていれば、稚気な愛国歌謡に過ぎないのですが、中にはこれはまずいのも散見され、、、戦後はただじゃすまなかったかも
北杜夫によれば、おっかない父親であり偉大な歌人で有り単純なオトコだとされるが、歌人としての偉大さはよく分からない。
アタシの知識は講談社版「茂吉秀歌・塚本邦雄撰並びに評釈」によることろしかないが、後年の世評の高い歌集はさておくも、最初の歌集「赤光」の肺腑をえぐらんばかりの鋭い前衛性や深みある表現力は、これがアララギ派なのって!
まあ、塚本邦雄の手になればなんでもそんな詩歌に見えてくるんですがね(^^)
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