税制の基本は「交際費全額損金不算入」です。
いくらなんでもあんまりだ!って事で、徴税権力は多少の特例措置を設けている。
しかしあくまでも「接待は冗費の塊」だとは、、なんとも頑迷固陋。
彼等はブリア・サヴァランの「美味礼讃」を読んだことがないのだ。別に読んでなくとも「食事は政治(ビジネス)の手段であり、外交(商談)には饗応が付き物」くらいは常識として分かるだろうに、、、
明治以降の近代化に於いては近代化すなわち西洋化であり、外国要人の接待には涙ぐましいばかりなボリューム満点のフレンチが供された。
ホンマにこんだけ食べたのかなあ?って
あるいは満漢全席のように「一皿一口のマナー」だったのなあ(^^)
輿論の反撥も強かったのだろうが維新の推進者たちが下級士族以下の連中が幸いした。本格的な本膳料理なんかしるよしもないんだがら、それを一気に飛び越えてフレンチ迄のハードルは低い。
とりわけ大実力者の伊藤博文こそ最下級。それは風呂屋のサンスケの爺いが言い放ったことからも明らか(委細は説明しないが、、、、貴人ともなれば前をコソコソ隠したりはしない)
だからかどうかは知らないが、当時は禁止であったはずの河豚コース料理を春帆楼で散々喰ったりしていたのです。
日清戦争の講和会議を春帆楼に設定したのも、李鴻章に河豚鍋を振る舞い事を上手く進めようとしたのかもしれないが、これはあてはずれだったようだ。
彼が哈爾濱でテロリストの凶弾に斃れたが....実は漱石の「門」に斯様な一節がある
漱石自身の政治的立場は無色中立的であるが単純に東アジアでの倭民の優位性を誇らしげに思っていたようです。かのテロルに関しても感情を高ぶらしたような文章もない。
宗助の感想は一般論としてはそういうものだし、俗に言う「横死すれば皆美人」とはそういう事。
もっとも殺されれば「だれもが歴史的に偉い人になれる」訳でもない。そこには「蓋棺」なる冷徹な歴史の評価で決まる話。
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