名前の画数からどうして姓名判断が可能なのか皆目理解出来ない。
一方で奈良時代の元明天皇の勅令
諸国郡郷名著好字令
読んで(眺めて)字の如く「良い漢字を地名に付けなさい」ということ。
表意文字のもつイメージを大事にしようって、、、実によくわかる。
粟の国が阿波の国へ、、、まあなんとも言い難いが(^^)
その延長線(表意文字姓名学)に音声姓名学があってもおかしくはない。
提唱者は、、小林何某。よく知らない方です。
かなり強引な論法ですが、名前を鼓舞される事で名前の音声イメージが刷り込まれ性格や人生の行く末もそのイメージの延長となるとかなんとか、、、似非科学の極み。
確かに、我が子に「不幸」と命名する親はいないが「幸や幸子」はザラにある。
毎日毎日「フシアワセ」と言われ続ければ、、、
親の識字能力の馬鹿さ加減を罵倒してやまないキラキラネームですが、発音的にはきわめて常識的。
むしろ碩学の極みとも言うべき鷗外の命名の方が当時としては常軌を逸している。
だっからアタシが危惧するほども不幸な人生を送るわけでもないのかなあ、、、ならばとりあえずはひと安心だと思いたいが、印象としては虐待のニュースに登場するお子様の名前を見るに......
子供の名前を見れば親の資質がわかる
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