そんなに大層なものでもない。
自由人が基本的に身につけておくべき学芸の総体がリベラルアーツであり、適切に倭訳すれば、、、「本来の良き意味での教養」
では一体「教養」とは何じゃいな?ってことだが、今日のお題はさらに高尚な「神学」のはなし
神は不可知、不可解である。
あるときはパジェロのダンロップのタイヤの文様に現れたり、ナイキのバスケシューズにも、、、もっとも降臨したのはイスラムの神。
後難を恐れた資本家は商品回収、謝罪、賠償と、、、大変だったようですが、さすがにイスラム教徒に改宗まではしなかったし、その程度で矛を収めたとは世俗的でもある。
しかしこの御技は、偶然なのか必然なのか?
不可知なんだから解りようもないが、それじゃ学としての神学の存在意義がない。
世の中には都合よく「弁証法」なるリベラルアーツがある。折衷案というと身もふたもないから「隠された必然」と呼ぶ。
進学的には、偶然や超常はあり得ない。
全ては「摂理」である。常識や科学の知見で論理的に説明出来ないものはそもそも存在しない。説明出来ないのはヒトザルがまだまだ未熟なだけ。それが証拠に長からぬ科学史とは未知の発見に他ならない。非科学的と切って捨てられた事象も科学的に説明可能な時代がいつか来る、、、その時までヒトザルがこの地球上で食物連鎖の頂点に君臨しているかどうかは分からない。
、、、とかなんとか狂言綺語を弄すれば、神を信じる事と無神論はコインの裏表だという事に帰着する。
奇想版狂言綺語事典(1)
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