クラシックローマ帝世紀の詩人ユウェナリスの詩集に由来する。
アタシはご幼少のみぎりは身体もココロも微弱だったから、、、でもある時に原典を目にして立ち位置が変わった!
原典では「そうありたいと神に願う」のですよ。特段健全な精神は健全な肉体に宿るとも健全な肉体には健全な精神が宿るって断じている訳ではない。
ホンマに学校の先生は嘘つきだ(本人は嘘も方便だと思っているのかも)
病弱の精神病質者はそこいらを徘徊しないから万一の危険はないが、体力馬鹿の精神病質者はいくらでもウロウロしている。
病弱ながら徳と智に秀でた方もおられる。
要するに「鬼に金棒」になりたいって、、、あんまり思弁的でもないのですよ。
ある精神科医は一時期「合併病棟の勤務医」だったんだって。当たり前の事ですが、精神病質者だって白内障や歯周病に悩んだり、外科的内科的な疾病で入院なりが必要となる。しかし、一般の病院では治療を断る可能性が高い。
そこで専門医と精神科医がタッグを組む特殊な病棟があるらしい。
疾病の状態(回復の状況)なりを把握した上で投薬なりの治療にヴァリエーションをつけるそうな。
曰く、、、重篤に状態ではまず投薬はしない。回復に応じて薬物を増やしていくのが常道。
つまり、精神的疾病は身体の元気さ度合いに正比例するという事らしい。
つまり、健全と不健全、肉体と精神の四象限マップにおける真理とは....
健全な肉体に狂気は宿る
例の調子の狂言綺語だと思うだろうが「晩期寛解」という概念があるそうな。
未治療の統合失調症患者は老化の進展、、死期がちかづくようになると多少の社会適合性が出てくると言われる。
つまり、、、老境の諦観もそういう事なんだ(^^)
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