坂本龍馬や武市半平太のご先祖が仕えた土佐の君主。中央の政治力学に無知なため、判断ミスから家康により支配権を剥奪され、内助の功だけで何の取り柄もない山内一豊が藩主となった。
しかし、長宗我部氏の子孫は今に伝わるらしい。
最初の奉公先に高知の石灰石採掘業の取引先があったが、たしか社長か役員のなかに長宗我部某なる方がおられた。
名題の定書は土佐の分国法(条例みたいなもの)
中世史の先生のコラムによれば一升升の計り方の決まりのような事が明文化されていたらしい。
米俵に升をグイと差し込み、山盛りの状態から摺り切り棒で正確に一升を計る、、、のだが、ちょっとしたカラクリがあるそうだ。
天下の統治者にとって度量衡の統一とは大事業のひとつ。市中には一升升といってもさまざまな大きさがあり、悪辣な商人は、貸米を小さな升で貸し大きな升で返してもらう.....とかなんとか、、、
又、時代によってかなり量単位に差があり、漢詩の「斗酒猶辞さず」と言っても、その時代の一斗は今の一升と大差なかった、、、その程度ならば二日酔い覚悟ならば飲めなくはない(^^)
今日のキモは、同じ大きさの一升升でも「摺り切りのやり方」で質量が多少異なるっておはなしです。
摺り切りのやり方には、
手前から前に摺りきる
向こうから手前に摺りきる、、、の二種類を基本に多様な摺り切り技法があったと、量り売り時代を知っている米商人は言うそうです。
ザックリ言うと、前者のやり方だと後者に比べて10グラム位重くなるらしい。
大したことはなさそうだが、一石は百升ですから、一キロ違うことになる。
土佐三十万石全体からすれば、、、そんだけの米粒が道端に落ちているはずも無いし、いつの時代にも徴税権力は苛烈なのです。
まあ斯様なテクニックは固体にしか通用しなくて、液体の場合はどうやっても一合は一合、、、じゃないのよ。そう思うようでは修行が足りない(^^)
山谷では見たことないが、釜ケ崎ならば珍しくもないらしいが、、、
朝から店を開けている立ち飲み屋さん(こんな時間帯にこんな場所で外道な食い物や飲み物をあさるアタシは、、、けだし掃き溜めの鶴かなあって)
肴はおでん(わいらはカントダキと言います)と串カツ。酒は当時ですから焼酎かポン酒。酎ハイなんて清涼飲料水はお呼びじゃなく麦酒はまどろっこしい。
そのオトコ、、、日雇い風、肴なんかは頼まない。升一杯分の小銭を握りしめて毎日何度もやってくる(、、らしい)
カウンターに銭を投げ出し、
大将!
ポン酒一合頼むわ。
升に半合ずつ分けて注いでくれや
唖然と見おくるアタシ
大将は苦笑混じりに、常連やさかいになあ
酒は表面張力で膨張しますやろ
それに分けて注ぐとやはり多めになりますがな
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