2024年1月15日月曜日

輿論 世論

 



輿論
世論
ジャーナリズムあるいはジャーナル
マスコミ
メディア

.....なんとも色んな表現があるものだ。
有り体に統一的に言えば(毎度は絶対に使わない下品に言い方だと)、、、こうるさい銀蝿あるいは銀蝿のありさまって、けだし適語表現(^^)

銀蝿と言われてアタマに血が上るようでは良い記事は書けない。所詮は「ペンゴロ」なんだし、社会の木鐸なんて言われたのは歴史の風景(但し、何事にも例外はありますがね)


佐藤卓己先生なる、、、メディア論の第一人者の先生が「吉田山」におられる。

社会の木鐸よりもペンゴロやその生業を学究の対象とされる先生であり、個人的には結構面白く読んでいる。



輿論と世論の違いを、、、目から鱗的に得心出来たのは先生のおかげである。

先生の著作によれば、大正期初期までは明確に「パブリックオピニオンとパブリックセンシティブ」は峻別されていたらしい。砂上の楼閣に近かった大正期デモクラシーが胡散霧消し、かの「築地」の大新聞が「白虹事件」で権力にひれ伏した以降、この二つは混合され、、、良貨は悪貨に駆逐され、今に至る。

ポイントは「駆逐され今に至る」ってこと。


加えての、漢字改革の弊害。

世論の「輿」は、、、以下ウィキの引用を補足修正

......

神輿の「こし」であり「与」の本字である「與」とは別字である。「車軸の上に置いて、その上に人や物をのせる台」、転じて「人や物を載せてかついで運ぶ乗り物」、、、さらには「みんなの」といった意味が生じ、ここから「世間の人々の意見・考え」を指して「輿論」と呼ぶようになった。

......

この限りに於いては、輿論と世論の差は乏しいが、祭りの神輿に担ぐほどの事なんだから、一時の感情に囚われた見解や感情ではないことが知れます。

正字の「輿」が常用漢字表からはずされ「世」のなかの意見という事で「世論」となったが、、それはもはや「輿論」ではなくなった。

なくなったはずだが、世論の担い手(社会の木鐸)が「輿論」だと言うから善良な民草が誤解する。


SNSの誤報や虚報にしたり顔で大メディアがたしなめるのは噴飯物。

新聞が「真」聞では無かろうと疑念をもって読まねばならないのは、末世の極み。

むしろ読まない方が賢明かも、、、










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