2024年1月28日日曜日

百年史

 



党中央委員会が編纂した公式の党史を拾いよみ、、、、ですが「公式」ってたいていはあやしげなんですよ。
以下「黒歴史」の部分を(^^)

1922年7月15日に渋谷で結成されたのだが、その会合に参加したのは八人(と言われている)、、、とはなんたる書き方(^^)

輝かしい、、らしい歴史の第一歩の先人の偉名が明記出来ないのは何故なんですかねえ?


その後綱領をめぐる論争は相次ぎ、コミンテルンの一声で福本和夫は失脚、、、したなんて書き方はしてません(当時は党の独自主体性なんかありません、、、というのが歴史常識)


まったく抜け落ちているのが武装共産党の乱行。銀行強盗で活動資金を集めてましたとかハウスキーパーとの乱倫、、、、なんて口が裂けても書けないわなあ(^^)


戦後の日共の蹉跌の第一歩は「憲法九条問題」

非武装に徹底反対したはずなんだが、、、それと現行憲法九条墨守の整合性がまるで分からない。

地政学的変化で主張をかえました!と素直に言えばいいのに、?なんちゃって「無謬のパルタイ」だもん


戦後の平和路線と武装闘争の混乱は、分派組織の跳ねあがりということになってますが、、、コミンフォルムの日本支部に過ぎない党が御本社の指示に従い武装闘争を行ったわけですから、党としては知らないって通用しませんよね(秘書が勝手にやったと言いたいらしい)


60年安保は、、、速い話が何もしなかったから、全学連(ブント)の闘いを「ニセ左翼」と貶めており、普通は闘いの最中に死ねば「権力による虐殺」というだろうに、、、単に「殺害」だと。確か中共からの樺美智子氏への香典をくすねたんだよなあ(保坂正保によればですが)



ほんま、書き出すとキリがないから、、、

黒い歴史はいくらクリーニングしても白くはならない。白くするには正直な懺悔だけ

だから、、いつまでも、躍進と退潮の繰り返し

党史の長さなんかに何の意味もないが



To be continued 






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