2018年11月17日土曜日

酷吏



時代劇的には、苛斂誅求を常とする悪役人
とりわけ
厳しく年貢を取りたてる悪代官
つまり、徴税権力。
しかし、江戸時代の税制は定額税が一般的であって、
生産性が上がればその余禄は百姓のもの
五公五民と言うが、人口比で一割程度の武家が、
税収の半分を費消出来るわけがない。

しかし、お隣の大国では、酷吏は司法権力を意味する
司馬遷の列伝(史記)は、巧みに人となりを活写します。
通常はひとりあるいはふたりで一列伝。
一山なんぼというかんじなのが、酷吏列伝です。
数を正確に数えたわけではないが...
ざっと十名あまりの司法官僚の名前が並びます。
一番有名なのは、張湯
セイダンハフタバヨリカンバシクテ....


司馬遷の筆は辛辣である。
法律は統治の具であるが、破邪顕正たり得ない。
上に政策(法律禁則)あれば、下に対策あり...とは今の
中国でも言われるが、彼の国に限ったことでもない。

始皇帝は法家思想を信じて息苦しくなるほどの
法秩序を作り上げたが、成功はしなかった。
劉邦は、その反省にたち...法は三章にて足る
徹底した簡素化を試みた...が、時代とともに繁熟を極め
司法権力が跳梁跋扈するに至った。
皆さん、単に検察官や裁判官にとどまらず、栄耀栄華を極め
最後は没落しちゃいますがね(^^)


なにかとこの手の職業の人達が出しゃばる時代とは
あまりよろしくないと歴史は教えます。


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