2018年11月22日木曜日

阪急梅田界隈うろ覚え



保有資産200兆円(当時の経済規模からすれば一桁は多そう?)と言われた豪商淀屋のお屋敷跡あたりに昔の勤務先があり
なんちゃら村とか言われていた。
南北のターミナル駅から微妙に遠いのが、浪花のビジネス街。
多分辺りの企業は同じようなルールだったと思われますが、蝸牛とて同時代的に知っているわけではない。

ご幼少の記憶によれば、阪急梅田駅は本当に「国鉄」の改札口と目と鼻の先だった。
阪急デパートの一階に阪急梅田駅の改札があったと思えばいい。
乗り換えには便利なんですが、大阪駅や梅田駅から淀屋橋までは地下鉄で一駅。
切符を買うなんでまどろっこしい事は浪花人はしないし、窓口に並んでるとアホやと思われる。
回数券のバラ売りで細かくさや取りをして生計をたてる立ちん坊のおばちゃんから買うのが通

実は、通勤費はなんでもくれるってもんじゃなく、
最寄駅から1キロだったか2キロ以上でないと貰えない。
大阪駅界隈から淀屋橋は、この微妙な基準に抵触し、サラリーマン諸君は、一駅テクテクと歩いたものである。
今風に健康の為って事じゃない。

ところが、沿線開発のノウハウに長けた阪急電鉄は、梅田駅を北側に移転し、従来の駅との間に
幾多の商業ビルを建ててしまった。
なんとも不便なわけで、お江戸で言えば、京成津田沼とJR津田沼の関係に近い。
さすがにお上品な阪急通勤組も、

何が梅田駅やてぇ!
茶屋町とかなんとか駅名変えたらええねん

が、数百メートルばかり距離が伸びた事で、阪急通勤組は地下鉄の通勤費がルールとしてもらえる事になった。
そうなれば、黙っていないのが、国鉄組に阪神組。
まあ「組」って表現が似つかわしそうな連中が多いようで、むしろ旗を立てて一揆のかまえ(笑)
禍福は糾える縄の如し・・・ってことで、大阪の北ターミナル駅からは、皆さん通勤定期が貰えるようになりましたが、
人事部門としては・・・余計な事しやがってって事なんでしょう。

その後、企業統合なんかで、なんちゃら村の保険会社が、淀屋橋の中洲に移転しました。
淀屋橋の橋を越えると定期券が貰えるってルールですから、本当は返上って事になるのですが、
強欲な組員は既得権は絶対に手放さない。
合併に伴う労働条件調整が数多あり、そのどさくさに紛れて、支給を続けているようです。

二つ目の勤務先の本社が一時期、その中洲にお引越しした事があり、
故事来歴に異様に詳しい蝸牛が、定期不支給を強硬に主張し(僕って毎日その区間は歩きだからどうでもいいのですよ)
人事部門、労働組合の両方を敵に回したっていうか・・・曖昧ですが、条件闘争で妥協してやる代わりって事でなんかせしめた記憶が(笑)


そういう事で、未開発状態の茶屋町辺りにお引越しした阪急電鉄ですが、茶屋町再開発を目論んだが、
頃はバブル期で、トンデモナイ大火傷を負ったとかムニャムニャ・・・
それなりに新しいビルは立ってますが、街としてのシンメトリックな美しさがありません。
更に、東に行くと、中崎町という、昭和レトロな忘れられた街がある。
新御堂筋を超えてって事で、実際よりも距離感を感じるからか、茶屋町再開発失敗の反動か
長く忘れられてきました。
ちょっと今風人気で、開業資金に乏しい起業家のショップが集積してきました。
お休みの日には平日の竹下通りのようです。


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